bowie note

David Bowieをキーワードにあれこれたどってみるノート。

You're the starring role

先日、新作『アネット』に併せて、レオス・カラックスが来日して東京で舞台挨拶もしてくれる、というニュースを聞き、勢いでチケットをとり(争奪戦に勝利)、弾丸で池袋へ行って帰ってきました。

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私はここのところフランス語をがんばっているので、聞き取れる語もたくさんある中、目の前のカラックスがDavid Bowieという単語を発したのを聞き逃し、通訳時に気づくという大失態を犯し、反省しきりでしたが、その時はスパークスの説明として、ボウイと同じ頃、70年代に出会って聞いていた、という文脈で名前があがったのでした。つまりはカラックス本人は、自分とボウイの繋がりを皆が知っていると前提にしていて、それを説明に使っている、ということに改めて感慨深いものを感じたり。

私にとってカラックスといえば、『ホーリー・モーターズ』なのですが、その後、初期3部作も見て、ボウイとの関連に興奮していた記事がこちら→

 

 

今回、関連書籍も色々出て、いろいろアップデートされたので、少し書いておきます。

 

filmart.co.jp

 

apeople.world

 

 

フィルムアート社の方をいま読んでいるけれど、監督へのインタビューがものすごく面白い。今回の新作『アネット』で言うと、3人の登場人物が重要で、ヘンリーとアン、そしてもう一人、「指揮者」。この指揮者をカラックスはボウイに演じて欲しいとオファーしたけれど、ただもう当時、ボウイは演技をできるような状態じゃなかったようで、断られた、などのエピソードも語られています。

 

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指揮者を演じたのはサイモン・ヘルバーク。

 

いまではボウイのことを好きだった、と語ってくれているカラックスも、1992年、『ポンヌフの恋人』の後に出た頃のインタビューでは「現在のボウイに興味はない」と語っておりました。

というわけで、もう一度カラックスが使用したボウイと、その時のボウイ本人をおさらいしておこうかと。

 

 

『ボーイ・ミーツ・ガール(Boy Meets Girl)』(1983年) *日本公開は1988年

使用曲:When I Live My Dream (アルバム『David Bowie』1967年、収録)

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この曲が欲しくてボウイにハマる前に『David Bowie』を買ったのが私の最初に買ったBowieのアルバム。私はおそらくは希有な、最初にボウイの1st アルバムを買ったボウイファン。
カラックス本人は編集盤『Images』でこの曲を知ったようだけれど。

 

現実の女性への愛と映画を作ることが直結していた(つまりいつも主演女優が当時の自分の彼女)カラックス。この曲には、

 

Tell them that I've got a dream

And tell them you're the starring role

Tell them I'm a dreaming kind of guy 

And I'm going to make my dream

Tell them I will live my dream

 

という一節も。

古川貴之さんの訳では、

 

思い知らせてやろう 僕には夢があるということを

君が僕の主演女優なんだということを

僕が夢見る男だということを

奴らに教えてやるがいい

僕はこの夢を実現するんだ

僕がこの夢をきっと叶えると

奴らに言うがいい

 

となっている。
make one's dreamの後に「come true」や「reality」がなくとも、ニュアンスとしては夢を叶える=現実化するととるのが素直なのは分かったうえで、字義通りに、夢そのものを作る、生きる、と取るのも面白い。

 

フランス語では「映画を撮る」という動詞が「réaliser」で、「現実化する」という意味でもあり、映画監督のことは「réalisateur」。
 
映画の後半、主人公Alexが語るセリフに、
 
 Les rêves formidables la nuit, je n'ai jamais cherché à les réaliser, juste à les refaire la nuit d'après.
 
というものがあり、「夜に見た途方もない夢を、ぼくは現実化しようとはしたことはない。ただ、次の夜にもう一度見るだけ。」というような意味だけれど、「夢を映画化はしない」という意味にもとれるので、「When I live my dream」からの流れで考えるとさらに面白い。
 
ミレーユがこの曲のメロディーを鼻歌で歌うシーンもあったことを、今回見直すまで忘れてた…。
 
この映画が公開された1983年のボウイ本人はというと、『レッツ・ダンス』の大ヒットからシリアス・ムーンライトツアーをしていた頃なので、知名度のホットさが最高頂の頃。
1988年の日本公開時のパンフレットでは林海象監督と詩人の八坂裕子氏の対談が載っており、八坂氏の「音楽のような映画」というより「かなり完全に音楽」という言葉を受け、林監督が、
 
「音が要らない映画なんですね。ただ音楽のセンスは悪い。『汚れた血』のときも思ったけど、ちょっとひどいな。これは中国人のロックのセンスですね。(笑)と思いますよ。『汚れた血』でもデヴィッド・ボウイを使ってたでしょう。」
 
と発言。
まあ1988年のボウイのパブリックイメージが悪かったとしても、林監督、許すまじ。
軽く中国を卑下してるのもヤな感じだな。今度、京都でお会いしたら問い詰めよう。笑
 
 
 

汚れた血(Mauvais Sang)』(1986年) *日本公開は1988年

使用曲:Modern Love(アルバム『Let's Dance』1983年、収録)

 
 
みんな大好き、ドニ・ラヴァンの疾走シーン。私も町中で走る必要があるときはこの曲を脳内再生しているけれど、映画でもフォロワーたくさん。
 
 

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いまでは古典化したようなシーンだけれど、当時はBowie??と違和感表明している人も少なくはなかったのかも。当時の人が聞き慣れている(聞き飽きた)音楽だったとすると。私もたしかにそんな感じで『ボーイ・ミーツ・ガール』の冒頭のゲンズブールのカバーに、敢えてこれかい!という驚きがあったけれど、『ポンヌフの恋人』のパンフレットに掲載されている大沢誉志幸とライター佐藤友紀氏の対談でも佐藤氏が、「私はレオスはほんとうに好きなんですけれども、『汚れた血』の「モダン・ラブ」だけはちょっと、ズリッだったんですね(椅子から落ちそうな身振りで)」と発言。しかし大沢さんは「あれはミュージシャン界隈では結構受けていたんですよ。(…)あのミスマッチング具合が受けてたんです。(…)本当の映画的なセンスで音楽を選曲しているなって感じましたね」と反論。
さすがです、我らが大沢誉志幸!!

1986年のボウイといえば『Tonight』の後、映画『ビギナーズ』や『ラビリンス』の頃だったので、「イメージ」に惑わされた人は多かったんでしょうね…人間弱いもんだ。

 

 

ポンヌフの恋人(Les  Amants du Pont-Neuf)』(1991年) *日本公開は1992年

使用曲:Time Will Crawl(アルバム『Never Let Me Down』1987年、収録)

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 前回見た時、このボウイの音楽は登場人物たちに優しいものではなく、厳しく突き刺さるような光と音のイメージだったけれど、チェルノブイリの事故を受けて書かれた曲らしく、そもそも警告のようなものだったのか…と。

ポンヌフの恋人』のパンフレットには佐々木敦氏による「カラックスを聴く」というテキストがあり、カラックスの音楽の3つのベクトルの1つとして「カラックスの“終生のアイドル”としてのD・ボウイ」が挙げられている。ただし「たぶんカラックスはティン・マシーンをきいたことがないか、聴いたとしても大嫌いに違いない」と断言。笑

 

この難産だった『ポンヌフの恋人』の長い撮影期間〜公開時、ボウイもティン・マシーンへ迷走中。

今ではDavid Bowieはおそらく映画で最も「特等席」を与えられて使用されているアーティストだと思われるけれど、こうなったきかっけを作ったのは、間違いなくレオス・カラックスだ。

 

 

そんなこんな、もう少し復習をしてから、再度『アネット』を見に行こうと思います。

 

 

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