今年の1月は夢みたいな楽しみが詰まった2020年に戦慄していたけれど、半年経ったいま、総ては夢だったと判明。ヨーロッパに観劇に行く予定だったのもなくなり、ナウエルさん×イザベル・ユペールの来日もなくなり…
その間、現実逃避的に語学に励んだりしているけれど、現実ではがっかりなことばかりなのに、前向きな言葉ばかり口にしたり書いたりしていることにさすがに疲れてきた。でもこの気持ちをどう発散したらいいの?
という最近。
Bowieの声の明るい色を聞くと、あの笑顔が浮かんできた。
そしてちょうど前野健太さんのラジオで紹介された、詩人・絵本作家の片山玲子さんのエッセイ「ジギー・スターダスト」(『惑星』港の人、2019年)に泣かされた。
デヴィッド・ボウイの歌う声のわずか一秒の音の波の中に、わたしのやりたいことの総てがあると思ったことがある。
という部分を前野さんは朗読し、こんな風に片山さんに書かせたボウイに嫉妬する、と言っていた。
わかる。
「一秒の波」というのが凄い。永遠と瞬間をつないでる。
はかなさと永遠が結婚して生れた子どものようなひと時。大きく広く、わたしをとりまく総てのものに向かっている「好きになる」という感情。ボウイはそういう気分をかりたててくる。
これも大きくうなずいた。
この世界への好奇心。何かを面白いと思えることが嬉しい。
あの笑顔が共鳴してくれる。
このエッセイの話を友人Kにも伝えた。
Kは音楽や映画など、わたしと好きなものが似ている。
そしてこれまでもボウイに関してはいつも反応が良かったので、興味あるかな?と思ったら、感動してくれて、かなり「はまって」くれた。嬉しい。
私の新しい部屋にも変わらずにボウイコーナーは作ってあるし、まだ拡大している。
ボウイがいれば大丈夫。