Come on Let's Dance
私は間違いなく小室チルドレンだけど、TKではなく、City Hunter世代。
小学校高学年から中学の間は、何よりもまずTM、なかでも小室哲哉のファンだったので、TMNが「終了」するあたりまでは、子供ができる範囲で細かく細かく追いかけてた。
そして世に訪れるTKブーム。
こう言って良ければ、『Let's Dance』の大ブレイクでBowieから離れたBowieファンのごとく、私も小室離れをしたのでした。
もちろん自分から聞こうとしなくても耳には入ってくるし、その後もわりと好きな曲もあるんだけど、でも80s小室サウンドに対して持っていた夢のようなときめきは、もうなかった。
このブログはBowieブログなので、Bowieと小室、なんか接点あるかな〜〜と思ってちょっと検索してみたりしたけど、あんまりないんですね。
強いてあげると、私の知らなかったこの曲のジャケットで、アラジンセインのTシャツを着ているとか、
リミックスアルバムの『DRESS』で、ナイル・ロジャースが1曲やってるとか、
もうないかも…。
むしろPrinceのほうが、影響力あったのが今ならわかる。
強いて言うと、TMはアルバムごと、ツアーごとにコンセプトがしっかりあって、音もガラッと変わるので、BowieのChangesに私は違和感がなかったのは、TMのそれに慣れていたからかも。
そもそも小室の「初めて買ったレコード」がT.REXの『Slider』だってあたりから、ちょっとずつBowieとはズレてて。
(彼の仲良い従姉妹がBowieファンだったみたい)
親から「クラシック」しか聞かせてもらえなかった子供にとって、唯一聞けるクラシック以外の音楽はアニソン。
おかげで出会えた「Get Wild」は、それまで聞いたことのない音楽でびっくりした。
クラシックのような流麗、豊かなメロではなく、同じ音が同じ長さと強さで連打されるだけなのに、あのキラキラした音で奏でられると、子供ながら初めて「せつない、やるせない」という言葉で表すものがあることを知ったような。
どこかいびつで、ギリギリで、今から見れば永遠のB級ぽさがあるというか、けっしてメインロードにいない感じが好きなんだけど、そういう嗜好がけっきょくその後の私の裏道人生の基礎だったのかも。
90年代になって小室を卒業して、渋谷系に入学し、また耳が広がっていくのだけど、私の根幹に小室さんがいたから、Bowieに出会うのが遅れたのかもなあ〜と思ったり。
思いを巡らすほどにTKとDBは遠いけど、Let's Danceな「大ブレイク」を重ねあわさせてもらうなら、その後ぽしゃって(?)復活し、だけどまた沈黙し復活(TND)というあたりのところを小室にも期待できる気がしてくるので、そうします。
YEARNING
これは1/8に『Blackstar』発売記念日、と思って飾ったものなのに、祭壇みたいになってしまった…
2016年は初めてリアルタイムで聞いたニューアルバムもあったし、濃い〜Bowieライフを過ごしてた気がします。
しかし2017年となると、新年早々のBOWIE IS展に始まり、ボウイよりむしろ可視化されたボウイファンたちに揉まれた感じがあって、どんどんBowieとの距離は開いていっており、この2年目の日にも、実は何の感情も持てなくなってました…。
CDプレイヤーが壊れてて(一度修理から戻ってきたけどまた壊れ、再修理中)、『A NEW CARREER IN A NEW TOWN』がほとんど聞けてないこともあるけれど(もちろん聞いた範囲ではめっっっちゃかっこよかった。ファンチャット大会しながら聞いて超楽しかった)。
そもそもずっと私の人生にいなかった(いや、いなかったと思ってたらずっとそっといたってことが重要なんだけど)人なので、いないことのほうが自然にも思えたり。
(いや、本当はBowieに限らず、ちょっといま何事においても私が熱を失ってるのが問題。ときめきよ、カムバック…)
などなどつぶやいている1月ですが、やっと話題のサイモン・クリッチリー『ボウイ』を読みました。
文章自体は読みやすいんですが、いやあ、ひっかっかるひっかかる…
んで、原書や『ダントンの死』とか買っちゃう。
でもだんだん、ひっかかってもいいし、ひっかかからなくてもいい、そういう本なんだ、ってことがわかってきました。
どっちかというと引き算でできた本。
ベンヤミン的な意味でのエッセイ的な。
最近他のファンの方々とBowieの「Nothing」と「Everything」について話していたので、ちょうどそれが最たるテーマとなっていたり、共感するところも多々。
また、「あこがれ」というテーマで1章書かれた後、次の章は「リアリティ」が出てきて、そこはもっとつなげても語れるだろうトピックだろうに、あえて分けたままにしていることとか、たくさん読者に話題を投げかけながら進んでいく。
その「あこがれ」だけど、原語では「yearn」が使われていた。
英語の「yearn」のニュアンスが私はよくわからなくて、ドイツ語だと「Sehnsucht」という「見る・会う」+「欲求」という複合語なので、逆に今は「見る・会う」ことが叶っていない状態なのかな、と想像できるのだけど、英語のyearnは私の思っている日本語の「あこがれ」という語とどこまでリンクしているだろう。
訳者の田中氏はあとがきで「愛(あこがれ)」とルビをふっていて、それもナルホドとは思う「yearn」の解釈で。
ともかく、私のあこがれはBowie本人には実はあまり向かってない。
クリッチリー氏のように、Bowieに「手を差し伸べられた」と感じられているのか、我ながら疑問だし、そのように差し伸べられたと思えるファンとBowieの関係にこそ「あこがれ」ている気がする。
ということは私はその状態ではないのか。
でもBowieがあこがれていたもの(それって世界そのもの?)には私も彼と同じ方向を向きながら、「ほんとだ、おもしろいね!!」とは確実に思えている気がする。
AT LAST I AM FREE
大晦日、紅白は安室ちゃんだけ生で見て泣いてました。
安室ちゃんは90年代の全盛期は自主的に聞くことはなかったし、ライブに行ったこともないけど、独り立ちしてからは気になる存在で、近年はアルバム出るたびにチェックして聞いたりしてて、引退宣言はそれなりにショックで、先日にNHKのインタビュー番組も観てました。
彼女の夢や野望は「歌って踊るのが好き」という女の子が抱く範囲の「普通」のことなんだけど、かわいすぎる容姿やまっすぐな意思と圧倒的な華でスターに押し上げられ、プレッシャーの中でCDの売り上げを伸ばし、そこから一人で自分をプロデュースしろ、と言われて戸惑い、楽しさを見つけてがんばってきたけれど、純粋にやりたいことは時代を読みながら戦略を考えるプロデュースではなくて、「歌って踊る」ことなので、ほんと大変だったんだろうな〜と、いうのが番組の感想。
(岡村ちゃんは完全自己プロデュースしなくては、という思い込みで突っ走ってきて、苦労した果てに、音楽以外はすべて他人まかせ、という今の自由を手に入れて、本当によかった)
紅白で歌った曲はNHKのリオオリンピックの公式テーマ曲になっていた「Hero」。
安室奈美恵「Hero」NHKオフィシャル・ミュージックビデオ
泣いちゃって最後歌えなかった産休復帰後の紅白を生で観ていた記憶が生々しくあるので、どうかしら、と思っていたら、すべてを大事に見事に歌い切ってからの笑顔と涙だったので、ぐっときてしまった…
余談というか、このBLOG的には本道だけど、オリンピックで「Hero」というと、すぐ思い出すのはロンドンオリンピック開会式のイギリス選手団入場で使われた「”Heroes”」(3:04:09くらいから→ The Complete London 2012 Opening Ceremony | London 2012 Olympic Games - YouTube )を思い出す。
というわけで、安室ちゃん、この9月で引退すると、「自由」を得るのかな。
さてさて。
少し前に、なんとなくRobert Wyattブームが個人的にやってきてました。
いろいろ聞きつつ、Enoはともかく、Bowieとは何か絡みはなかったのかな、とググってみると、ほうほう、直接的な話はないけど、2003年にBowieが愛聴アナログレコード25選というのをやったらしく、その1枚が、Wyattのシングル盤だった、というのがわかった。
ボウイが愛聴したアルバム(ヴァイナル盤)×25枚|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)
私がWyattを初めて知った時にはYoutubeはなかったので、こうしてライブ映像が見られるのがとても新鮮。
さて、このシングルが収録されているのはWyattの『Nothing Can Stop Us』(1982)というアルバム。改めてこのアルバムを聴いていて、心奪われたのは、2曲目に入っている「At Last I Am Free」。
これ、Chicのカバーだってこと、初めて知った!!!
「At Last I Am Free」、やっと私は自由に、というタイトル。
Princeにおける「free」はもぉんのすごく究極的に肯定的な意味のある言葉だと思うので、「本当は…」とか裏の意味を疑えないような、絞り出した果てのような、大事な言葉だと思うのだけど、この歌詞ではどうだろう…
ナイル・ロジャースによると、実際はブラックパンサー党の大会で警察に暴力を振るわれる中から逃げ出してきた時の心情を歌っているらしい。
VOL.2 Nile Rodgers | 100年 MUSIC featuring Artist | 100年 MUSIC
"AT LAST I AM FREE"
At last I am free
I can hardly see in front of me
I can hardly see in front of me
I'm lonely, please listen
To what I say
I can't go on
Livin' Life this way
I've tried and I've tried
Oh, to make you see
You call this lyin' my friend
It just can't be
At last I am free
I can hardly see in front of me
I can hardly see in front of me
I'm lonely, please hold me
Come Closer, my dear
It feels so good
Just havin' you near
But who am I foolin'
When I know it's not real?
I can't hide
All this hurt and pain
Inside feel
At last I am free
I can hardly see in front of me
I can hardly see in front of me
歌詞が書かれた動機は複雑だけど、この歌詞だけみると割とストレートな愛の歌。
このリフレインの
「やっと私は自由
目の前がほとんど見えない」
は、以下の歌詞をみると、恋人と別れる際の涙で前が見えない様子のように思われ、自由というよりは、日本語でも「彼氏彼女がいない」という意味で使う「フリー」と同じ意味で受け取ることができる。
そう、この「free」は手放しで喜ばれてはいない。
涙で目の前がかすみながらの、「自由」。
愛が束縛なら、自由に愛はないのか。
自由になんてなりたくない、と、そこまで読み込んでしまったりするのも容易。
と女性ボーカルだったchicでは、こうして下世話な恋愛話をイメージしてしまうけれど、Wyattの絞り出すような声で歌われるver.を聞くと確かに「Free」は「だからこそ」の「にもかかわらず」の「自由」といったような、重さが加わるような感じがする。
Robert Wyatt - At Last I Am Free
なんてことを思いながらBowieの「Lazarus」を再度聞いてみると、「I'll be free」はどんな風に聞こえます?
LOOK UP HERE, I'M IN HEAVEN
たぶん去年はもう間に合わなかったのでしょう。
1年分のラインナップは一気に出るので。
今年の「午前十時の映画祭」、12月に『戦場のメリークリスマス』が入っていたので、ずっと前から楽しみにしてました。まだ一度も映画館で見たことなかったので。
湿度が高そうな濃い色の森に重なるタイトルバックは朱色の文字。
そこから夜の青さの中に浮かび上がるビートたけしの顔。
そう、この映画は始まりも終わりも、たけしの丸い丸い顔だったのでした。
セリアズが「funny face」って表現したアレ。
映画館で見ると改めて気づくことも多々。
編集に苦労してそうな箇所とか。
言葉で語られる「ヨノイのその後」エピソードがいまいち効いてこないこととか。
(みんなの化粧に笑う、という段階はもう終わっております。→★)
この映画で我々はBowieの死にゆく姿を見せられる。
でも余裕でしょう、これは作り物だから。
Princeも映画の中で死んでしまうけれど、これも余裕。
問題は本人が自分に向けて歌っているようにしか聞こえない歌で、Princeの「Sometimes it snows in April」、D'AngeloはもうTracyという歌詞をPrinceに変えて歌って、自分で歌えなくなってしまってたけど。
今の岡村ちゃんはあまりに元気で「成長中」なので、「死」はあまりに遠く思えるけれど、一番新しい曲『忘らんないよ』は、きっと遠い未来、彼が★になった後に聞いたら、号泣だろうな。
萩本欽一に向けて作られたはずだけど、なんだか岡村ちゃん本人宛に聞こえてきてしょうがない。
「春と冬と夏と秋に君がいた」
というサビ。なんで春夏秋冬の順じゃないんだ??TV業界の特番的ななにか?とか思ってたけど、これはここ数年の岡村ちゃんのことじゃないか。
春は全国を、冬は東名阪でツアーをし、夏はフェスに出て、秋にもツアーが被ることもある。
岡村ちゃんがいる季節。
最初の歌詞「あなたの何を許せばいいの? 形あるもの みんな同じ孤独が 寄り添っているのに」も、我々が何度も岡村ちゃんを「許す」立場に立たされた過去があることを思うと、まさに、なのだけど、今はむしろ感謝しかないのにな…と思えることが本当に幸福。それを「忘らんないよ」ってほんと勘弁して…
すいません、Bowie話がただの枕に…
ME !!!!!!
1ヶ月以上放置してましたが、11月はレッドな桃月間で、岡村ちゃんのツアーの3/5に付いてってたのでご勘弁…
さてBOWIE、相変わらずベルリン箱日本盤は発売日決まらず、まだ聞けてません。
年内に出るかしらん。
この秋、唯一って感じのイベントは先日の『ジギースターダスト』の絶響上映でした。
映画館で見るのは二度目。今回はZepp Nambaってことで大音量仕様。
大音量だとやっぱりバンドの格好良さを再確認。
これまでこの絶響上映は『Sign 'O' The Times』と『Purple Rain』を見に同じくZeppに行ったのだけど、ぜんぜん集客が違う。プリンスのときはなんて少なかったんだろう…
Trailer: Ziggy Stardust and The Spiders From Mars
ほぼ満席で映画を観た後は先輩ファンの方々とおしゃべり。
かつての上映に比べていかにこのデジタルリマスターの音と映像が綺麗かってことや、はじめて見たときの感想など聞けて面白い。
あとわたしも気になってたことを質問。
Ziggyの最初の「うーー」ってまだBowie、マイクから遠い段階から聞こえてるけどなぜ?とか、
Rock'n'Roll Suicideの前のBowieの告知でバンドメンバーは解散を知った、と聞いてたけど、あんま驚いてるように見えずちゃんと演奏してるんだけど、なぜ?など。
で、みんな本当何回も何回も見てるので、観客のこともよく覚えてるよね、という話に。
そう、いつも気になってたけど、今回改めて、このコンサート会場の観客の属性が似通ってることを再確認。年齢・性別・人種。
10代の白人女性ばっかり映る。男性もいるけれど。
しかし黒人、アジア人はいない。
これ、今の多民族シティLONDONを思うと、結構異色な空間なんじゃないかなあ。
音楽や舞台の研究でも、もっとも調査が難しいのは「観客は誰なのか」ってこと。
何百年か前のものも難しいけれど、70年代だって、そして今だって結構データとして残すことは難しい。
私がこうした年齢・性別・人種に分類されてカウントされても、自分でそれをちゃんと自分と思えるかな…精神年齢や趣味、その日の気分は数値化されないし。
で、Ziggy映画の陶酔的な白人ティーンエイジャーたちの姿。
私たちが憧れてきたのはもちろんBowie本人ではあるけれどこのファンたちの姿でもあるなあ、と再確認。
タイミングよく口々に「ME!!!!」と叫び、それを本人にも面白がられるファンたち。
羨ましい。こんなこと、私たち(日本でライブを見る日本人)はできたのかな。
Princeにハマった頃、彼はPiano & Microphoneツアー中。
こっそり撮られた映像では、弾き語りをするPrinceに興奮した観客たちが、Princeの歌に対して叫び、歌い、反応を返し続けてた。
それを観た私は正直自信がなくなったのでした。
まだ有名曲ですら歌詞を覚えてないのに、こんな全員参加型のライブに行って、どんな気分になるんだろうか、と。こんないちいち「Oh〜〜!!」みたいな声、出せるかな、と。
オーストラリアのチケットを結局買わなかった第一の理由は実はこれだった。
先日の岡村ちゃんライブ千秋楽名古屋。
岡村ちゃんのお客は老若男女入り混じっていて、熱狂的だけど、「絶対(日本の)常識の範囲」ではあるんだけど、この日は前方によく叫ぶ男性が。姿は見えなかったけれど。
「陶酔」に憧れる私としては「イケイケ!もっとやれ!」と心中応援。
いや、応援されたのはむしろ私。
気分上がって久々に♡の目で没入。
私、ズーーーーット笑顔だったはず。
しかし案の定、終演後のTwitterなどの感想でこの男性は批判対象に。
「イケナイコトカイ」の岡村ちゃんの即興部分で声を出すなんてもっての他!!みたいな。
そうかなーー、私はすごくあれよかったのになーーー。
私にはBowieが「ME!」を喜び、Princeが弾き語りへの反応を喜んでいるあの表情を、岡村ちゃんもしているような気がしたのでした。
Shining 80s
Bowie Box第三弾の日本盤がまた発売延期、というか発売日未定、に変更になり、注文していたタワレコオンラインからは「いったんキャンセルします」と連絡があり、いつになるやら〜〜〜〜
って感じですが、実は最近はこのベルリン期よりも80年代ボウイがツボなので、来年も箱出してくれるなら、むしろそっちが楽しみ!になってきてます。
先日、京都木屋町にある元「立誠小学校」が改築されるということで、大きなレコード市があり、そこでゲットしたものが総じて80sBOWIEだったことも原因。
80年代の音源こそ、最初のCD化がテキトーなのか、アナログで聞いたときの「こんなに良かったのか!」という発見がでかい。
さらに80年代を最初から最後まで完全に幸せな子供として過ごしたので、90年代になっても延々と「80年代はよかったなあ…」と思い続けていた私に、80年代がダサかったことはなく、ひたすらキラキラに見えて、たまらない…
(正直『Tonight』は好きな曲がないのだけど)、『Never Let Me Down』は最初から好き。とくに「Shining Star(Makin' My Love)」が好き。一聴した時から、妙な「私に近しい臭い」を嗅ぎ取っていた。
これは実はミッキー・ロークが途中、「ラップ」で参加しているというびっくり曲。
Shining Star (Makin' My Love) - Never Let Me Down [1987] - David Bowie
こちらはライブリハーサル風景(13:30頃〜)
で、この曲は、「実は」が続くのですが、「実は」プリンスを意識して書かれたものだったよう。ちなみにこのアルバムに収録の「Zeroes」という曲の歌詞には「Little Red Corvette」も出てくる。
しかし影響は一方的なではない。
かの『Purple Rain』はおそらくジギー・スターダストをその構想のヒントに持っていた。
参考:
strongerthanparadise.blog.fc2.com
さらにとくにこの1987年、彼等はライバルでもあった。
Bowieは「Glass Spiderツアー」のダンサーとして"Cat"を所望していたけれど、彼女はまったく同時期におこなわれたPrinceの「Sign 'O' The Time」ツアーの方へ参加。
参考:
strongerthanparadise.blog.fc2.com
ということに思いを馳せたのは、昨日たまたまマイラブ岡村靖幸の1987年7月21日発売のシングル「Dog Days」が「Shining Star(Making' Love)」(1987年4月18日発売のアルバム『Never Let Me Down』に収録)に似てる!!と気付いたことがきっかけ。
この二つの曲が直接似ているんじゃなくて、そう、「PRINCE」で繋がっていることは言わずもがな。
RAW POWER
3度目の正直、ならぬ正伝寺。
ついに月見に行って参りました!
夕焼けで赤い空にぽっかり白い月。
まだ比叡山の近くです。
縁側に座ってみる。
だんだん昇っていく。
飛行機雲が横切る。
David Bowie – Crystal Japan – Promo - 1980
たくさんのカメラを持ったお客が来ており、私も撮ってみたものの…
私の腕ではあの明るさは全然捕らえられなかったので、諦めてシャーペンでノートにスケッチ。
ちゃんと色鉛筆持ち歩いてればよかった。相棒。
素敵な月見の前週は、ようやくジャームッシュの新作2本を見ました。
『パターソン』のことは思い出しては胸がいっぱいになるってのがまだ続いてる。
ユリイカのジャームッシュ特集も前半はなかなかで、かなり涙ぐんで読んだ(後半はそうでもなかった)。
そしてイギー。
なんてチャーミングなイギー。
なんて素晴らしいThe Stooges!!
たくさんの名言が飛び出した。
作詞のルールも驚いたし、オトナ(ビジネス)や大人(アート)に目を付けられてもヌルリ!ジャンプ!と飛んで逃げるイギー。
The Stoogesはどのアルバムも大好きだ。
本作はThe Stoogesの映画なので、その時代のBowieは「おとな」仲間に見えた。