bowie note

David Bowieをキーワードにあれこれたどってみるノート。

The Seed and the Sower

 

幸宏さんの訃報は急でびっくりして涙が出たけれど、坂本さんは、ずっと心の準備していたから、ついに来たか…という感じではあった、けれど、大いに脱力。

鈍いナイフが胸を刺したようで、血も涙もドロっとしていて、なかなか出てこない。

 

TM世代なので、YMOも坂本さんの音楽も別に「新しい」と思ったことはなく、生まれた時からそこにあった。クラシック音楽ばかりの父のレコード棚に、この3枚のレコードがあったことの理由はあって、2人のことはどうしても重ねて見てしまう。私はまさにこの団塊「弟」世代チルドレン。

 

おそらく中学生のころに、部屋から勝手に持ってきて聞いて、この中では『Summer Nerves』が好きになった。YMOのその後のアルバムとか戦メリとか聞いたのはもっと

ずっと後。

演奏を見たのは、ソロとYMOを1回づつ。あと2011年のプロジェクトFUKUSHIMAでも見た(一応オーケストラに彼も参加していたので共演したと言えなくはない)。

 

10年前にボウイにハマって再度意識するように。

そして5年前のちょうど今頃、急に坂本ブームが来た。

Ballet Mecanique - bowie note

 

とにかく今は何を言っていいか分からない。

まかれた種の多さと、そこから育ち、また種をまき…という歴史が大きすぎて。

ひとつだけ分かったことは、死は、準備していようとしてまいと、同じようにやってくるということ。

 

ボクニハ ハジメト オワリガ アルンダ
コオシテ ナガイ アイダ ソラヲ ミテル
オンガク イツマデモ ツヅク オンガク
オドッテ イル ボクヲ キミハ ミテイル
ボクニハ ハジメト オワリガ アルンダ
コオシテ ナガイ アイダ ソラヲ ミテル

 

 

 

Bye Bye Spaceboy

1年ぶりのBOWIE NOTE★

ボウイ財団公認、素材提供のドキュメンタリー映画『ムーンエイジ・デイドリーム』がようやく日本でも公開中!

昨年カンヌ国際映画祭でプレミア上映され、そして各国で上映→サントラ、DVD発売、と着々としてたけど、日本はだいぶ待たされたました。私はサントラだけは買って聞いてたけれど、映像は見ないで楽しみにしてました。

3/24、初日の公開館数は79館!

 

 

ジギー映画の時が59館だったので、増えてる!大丈夫か!?!?

今回はIMAX仕様になっているということで、大きなところが多い。

しかし私はまず、3/24の夜、行きつけの、知る限り最も音響が良いミニシアター、京都シネマへ。

 

いつもは2、3列目に座るけれど、ここは1列目、行ってみよう!と頑張ったらやっぱちょっとしんどかった。映画は本当に情報量が多くて、一聴、一読では理解しきれないボウイの言葉が次々現れ、映像もコラージュ的に紡がれ、頭パンク。早く帰ってゆっくり普通のライブ映像見たい...と切に...

全然この映画が好きになれる気配がないまま終了。

 

日曜、リベンジに向かったのはエキスポシティの109シネマ。ここのIMAXIMAX レーザーGTということで、ちゃんとIMAXの1.43:1の比率で見られる希少な会場。

入ってびっくり。足元のはるか下から、6階の高さの天井まで全部スクリーン。体感、横より縦長のスクリーンは圧倒的で、字幕の位置も、普通より上に感じられるくらい。

この2回目で1回目の評価が180度変わった!もうここまで大きいと、自分が普段生きている全方向の情報を取り込めないのと同じような、「無理です」感が自然で、世界(スクリーン)に対して私がちっぽけな存在だと納得できるので映画の見方が変わる。

(そもそも小さなスクリーンの間近で見ることと、大きなスクリーンを適切な距離で見ること、どう違うんだろう。大変興味深い。)

テンション上がって、Tシャツとか買っちゃった。

 

そして次はTOHO二条のIMAX

エキスポの後、ノーマル? IMAXは普通に横長に思える。

3回目となるとだいぶ心構えがあるので、体感時間が最も短く、何度かグッときて涙ぐんだ。

 

 

 

そもそもこの映画、関係者インタビューや、説明を省き、カオスをテーマの1つにしてはいるけれど、構成ははっきりしていて、5つの時代に分けてある。それってBBCの2013年のドキュメンタリー「FIVE YEARS」と同じ。あちらは、

YEAR ONE: 1971-1972

YEAR TWO: 1974-1975

YEAR THREE: 1976-1977

YEAR FOUR: 1979-1980

YEAR FIVE: 1982-1983

となっていて、レッツダンスまでだったけれど、こちらの映画はそこから先もあって、TIN MACHINEは黙殺するけれど、90年代はしっかりと扱い、「Hallo Spaceboy」がテーマ曲のようになっていた。

大体以下のよう。太字にした曲は、その時代のものではないのにFeatureされていた曲なので、監督がその時代を語るためのテーマを示してるのだと思う。

 

00: Opening

「Hallo Spaceboy」

 

01: ZIGGY STARDUST期

「Wild Eyed Boy From Freecloud」

「All The Young Dudes」〜「Oh! You Pretty Things」

〜LIFE ON MARS

「Moonage Daydream」

「The Jean Genie」「Love Me Do

冒頭、ニーチェを引用し、人生の基盤、神、ということをテーマにしているであろうこのジギー章に、「挿入」されている「LIFE ON MARS」は、まさに「作った神」のように思えた。

 

02: US期

「Future Legend」「Diamond Dogs」「Cracked Actor」

「Rock'n' Roll with Me」

「Aladdin Sane」

〜SPACE ODDITY

この「Space Oddity」が50歳誕生日コンサートの時の映像だというのが意外でよかった。この頃は音楽だけでなく、歌詞が本当ソウルミュージックの歌詞というのも面白い。

 

03: Berlin期

「V-2 Schneide」

「Sound and Vision

「A New Career in a New Town」

Heroes

「D.J.」

「Ashes to Ashes」

「Moss Garden」

ここは「Elephant Man」の映像がよく使われており、「Home」という言葉が強調されるけれど、この頃のボウイはHomeを離れ、異邦人として世界を旅していた。

 

04: スーパースター期

「Modern Love」

「Let's Dance」

〜Rock 'n' Roll Suicide

挿入曲「Rock'n' Roll Suicide」のストーリーそのもの。FAMEに殺されるSuper Starを描いた章。リアルタイマーじゃないから、あのスタジアムライブとか本当にあんなにボウイが人気あったって普通に信じられないんだけれど、「Let's Dance」って曲の威力、改めて、やばい。

 

05: 幸福人間期:「カオス」

〜WORD ON A WING

「Hallo Spaceboy」

「I Have Not Been to Oxford Town」

「★」

挿入曲、「Word on a Wing」の良さに気づいた!そして「Hallo Spaceboy」、タイトルに反して、歌詞では「Bye Bye」ばっか言ってる。

 

〜MEMORY OF FREE FESTIVAL

00: Ending

Starman

「Changes」

 

という構成でした。

時代を追ってるのはわかるけれど、その時代ではない映像、特にシリムンツアーのオフショット『Ricochet』の映像が、おそらく「オフで世界を旅するボウイ」を示すために多用されてる。3回見ると慣れてきたけれど、変化していく各時代のボウイが共存している中、いつもここが素であり、巣に戻ってくるみたいで、けっこう違和感あった。たとえば「Let's Dance」ではいろんな時代の踊るボウイの映像が繋げられ、「Rock 'n' roll Suicide」の手を伸ばして、というところでは、伸ばされる手の映像が繋がれる。色々な時代の。そんな観客の気持ちをわかっていたかのように、最後の曲で「I can't trace time」と歌われるのだけれど。

また、こんなにボウイの後ろ姿が使われたのは珍しいのでは。おかげで首にホクロがあることに気づいた。後ろからボウイを見ると、ボウイはこの世界をどんな風に見て、どんなことを考えてるんだろう、という想像が促される。

「Hallo Spaceboy」の多用はまだ私の中ではスッキリしてないけれど、映画のタイトルの「Moonage」、月世代と関わるのか、「Moondust」に覆われる、というフレーズが最後に現れる。

そもそも月世代とは?勝手に1969年の月面着陸で興奮した世代(=ボウイ)と思っていたけれど、どうなんだろう。

 

とりあえず、これは「ボウイの作品」ではなく、監督が恣意的に選んだボウイの言葉と映像で紡いだ、ボウイ像だということを重々承知していれば、新たな発見もあるし、楽しめる。

私たちとボウイ、ここから始まるはず。また行きます!明後日くらいに。笑

 

 

You're the starring role

先日、新作『アネット』に併せて、レオス・カラックスが来日して東京で舞台挨拶もしてくれる、というニュースを聞き、勢いでチケットをとり(争奪戦に勝利)、弾丸で池袋へ行って帰ってきました。

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私はここのところフランス語をがんばっているので、聞き取れる語もたくさんある中、目の前のカラックスがDavid Bowieという単語を発したのを聞き逃し、通訳時に気づくという大失態を犯し、反省しきりでしたが、その時はスパークスの説明として、ボウイと同じ頃、70年代に出会って聞いていた、という文脈で名前があがったのでした。つまりはカラックス本人は、自分とボウイの繋がりを皆が知っていると前提にしていて、それを説明に使っている、ということに改めて感慨深いものを感じたり。

私にとってカラックスといえば、『ホーリー・モーターズ』なのですが、その後、初期3部作も見て、ボウイとの関連に興奮していた記事がこちら→

 

 

今回、関連書籍も色々出て、いろいろアップデートされたので、少し書いておきます。

 

filmart.co.jp

 

apeople.world

 

 

フィルムアート社の方をいま読んでいるけれど、監督へのインタビューがものすごく面白い。今回の新作『アネット』で言うと、3人の登場人物が重要で、ヘンリーとアン、そしてもう一人、「指揮者」。この指揮者をカラックスはボウイに演じて欲しいとオファーしたけれど、ただもう当時、ボウイは演技をできるような状態じゃなかったようで、断られた、などのエピソードも語られています。

 

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指揮者を演じたのはサイモン・ヘルバーク。

 

いまではボウイのことを好きだった、と語ってくれているカラックスも、1992年、『ポンヌフの恋人』の後に出た頃のインタビューでは「現在のボウイに興味はない」と語っておりました。

というわけで、もう一度カラックスが使用したボウイと、その時のボウイ本人をおさらいしておこうかと。

 

 

『ボーイ・ミーツ・ガール(Boy Meets Girl)』(1983年) *日本公開は1988年

使用曲:When I Live My Dream (アルバム『David Bowie』1967年、収録)

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この曲が欲しくてボウイにハマる前に『David Bowie』を買ったのが私の最初に買ったBowieのアルバム。私はおそらくは希有な、最初にボウイの1st アルバムを買ったボウイファン。
カラックス本人は編集盤『Images』でこの曲を知ったようだけれど。

 

現実の女性への愛と映画を作ることが直結していた(つまりいつも主演女優が当時の自分の彼女)カラックス。この曲には、

 

Tell them that I've got a dream

And tell them you're the starring role

Tell them I'm a dreaming kind of guy 

And I'm going to make my dream

Tell them I will live my dream

 

という一節も。

古川貴之さんの訳では、

 

思い知らせてやろう 僕には夢があるということを

君が僕の主演女優なんだということを

僕が夢見る男だということを

奴らに教えてやるがいい

僕はこの夢を実現するんだ

僕がこの夢をきっと叶えると

奴らに言うがいい

 

となっている。
make one's dreamの後に「come true」や「reality」がなくとも、ニュアンスとしては夢を叶える=現実化するととるのが素直なのは分かったうえで、字義通りに、夢そのものを作る、生きる、と取るのも面白い。

 

フランス語では「映画を撮る」という動詞が「réaliser」で、「現実化する」という意味でもあり、映画監督のことは「réalisateur」。
 
映画の後半、主人公Alexが語るセリフに、
 
 Les rêves formidables la nuit, je n'ai jamais cherché à les réaliser, juste à les refaire la nuit d'après.
 
というものがあり、「夜に見た途方もない夢を、ぼくは現実化しようとはしたことはない。ただ、次の夜にもう一度見るだけ。」というような意味だけれど、「夢を映画化はしない」という意味にもとれるので、「When I live my dream」からの流れで考えるとさらに面白い。
 
ミレーユがこの曲のメロディーを鼻歌で歌うシーンもあったことを、今回見直すまで忘れてた…。
 
この映画が公開された1983年のボウイ本人はというと、『レッツ・ダンス』の大ヒットからシリアス・ムーンライトツアーをしていた頃なので、知名度のホットさが最高頂の頃。
1988年の日本公開時のパンフレットでは林海象監督と詩人の八坂裕子氏の対談が載っており、八坂氏の「音楽のような映画」というより「かなり完全に音楽」という言葉を受け、林監督が、
 
「音が要らない映画なんですね。ただ音楽のセンスは悪い。『汚れた血』のときも思ったけど、ちょっとひどいな。これは中国人のロックのセンスですね。(笑)と思いますよ。『汚れた血』でもデヴィッド・ボウイを使ってたでしょう。」
 
と発言。
まあ1988年のボウイのパブリックイメージが悪かったとしても、林監督、許すまじ。
軽く中国を卑下してるのもヤな感じだな。今度、京都でお会いしたら問い詰めよう。笑
 
 
 

汚れた血(Mauvais Sang)』(1986年) *日本公開は1988年

使用曲:Modern Love(アルバム『Let's Dance』1983年、収録)

 
 
みんな大好き、ドニ・ラヴァンの疾走シーン。私も町中で走る必要があるときはこの曲を脳内再生しているけれど、映画でもフォロワーたくさん。
 
 

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いまでは古典化したようなシーンだけれど、当時はBowie??と違和感表明している人も少なくはなかったのかも。当時の人が聞き慣れている(聞き飽きた)音楽だったとすると。私もたしかにそんな感じで『ボーイ・ミーツ・ガール』の冒頭のゲンズブールのカバーに、敢えてこれかい!という驚きがあったけれど、『ポンヌフの恋人』のパンフレットに掲載されている大沢誉志幸とライター佐藤友紀氏の対談でも佐藤氏が、「私はレオスはほんとうに好きなんですけれども、『汚れた血』の「モダン・ラブ」だけはちょっと、ズリッだったんですね(椅子から落ちそうな身振りで)」と発言。しかし大沢さんは「あれはミュージシャン界隈では結構受けていたんですよ。(…)あのミスマッチング具合が受けてたんです。(…)本当の映画的なセンスで音楽を選曲しているなって感じましたね」と反論。
さすがです、我らが大沢誉志幸!!

1986年のボウイといえば『Tonight』の後、映画『ビギナーズ』や『ラビリンス』の頃だったので、「イメージ」に惑わされた人は多かったんでしょうね…人間弱いもんだ。

 

 

ポンヌフの恋人(Les  Amants du Pont-Neuf)』(1991年) *日本公開は1992年

使用曲:Time Will Crawl(アルバム『Never Let Me Down』1987年、収録)

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 前回見た時、このボウイの音楽は登場人物たちに優しいものではなく、厳しく突き刺さるような光と音のイメージだったけれど、チェルノブイリの事故を受けて書かれた曲らしく、そもそも警告のようなものだったのか…と。

ポンヌフの恋人』のパンフレットには佐々木敦氏による「カラックスを聴く」というテキストがあり、カラックスの音楽の3つのベクトルの1つとして「カラックスの“終生のアイドル”としてのD・ボウイ」が挙げられている。ただし「たぶんカラックスはティン・マシーンをきいたことがないか、聴いたとしても大嫌いに違いない」と断言。笑

 

この難産だった『ポンヌフの恋人』の長い撮影期間〜公開時、ボウイもティン・マシーンへ迷走中。

今ではDavid Bowieはおそらく映画で最も「特等席」を与えられて使用されているアーティストだと思われるけれど、こうなったきかっけを作ったのは、間違いなくレオス・カラックスだ。

 

 

そんなこんな、もう少し復習をしてから、再度『アネット』を見に行こうと思います。

 

 

www.youtube.com

The Legend of ZIGGY STARDUST

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今のところアレックスシネマ大津、アップリンク京都で1回ずつ、京都みなみ会館で2回鑑賞した今回の『ジギースターダスト』上映。
まだ行く予定ですが、先日出版されたこちらのジギー本を一気に読みました!

 

www.amazon.co.jp

 

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ちょうど『The Man Who Sold The World』(1970)、『Hunky Dorry』(1971)、『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』(1972)、『Aladdine Sane』(1973)、『Pin-ups』(1973)の5つのアルバムを聞いてる間に読み終わるボリュームの、まさにその期間のDAVID BOWIEについての本。
大変面白かった!!!

売れないロッカーだったBOWIEはこの時期、一気にスターに。
Ziggyは決して彼一人が作り上げたものではなく、Mick Ronsonらバンドメンバーによって半ば偶然生み出された音楽が導いたものであって、最初から確固としたコンセプトやストーリーがあるわけではなかったというところが強調されていて、タイトルに反して神話解体が試みられていた。

 

ジギーとしての最後のライブとなった1973年7月3日のライブのセットリストは以下の通り。ただしジェフ・ベック参加パートは映像・録音ともに未公開。

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"Beethoven's Ninth Symphony" arranged and perfomed by Wendy Carlos

第一部
1. Hang on to Yourself
2. Ziggy Stardust
3. Watch That Man
4. Wild Eyed Boy From Freecloud
5. All the Young Dudes 
6. Oh! You Pretty Things
7.
Moonage Daydream
8. Changes
9. Space Oddity
10.
My Death (Jacques Brel cover) 

"William Tell Overture(Abridged)"arranged and perfomed by Wendy Carlos

第二部
1. Cracked Actor
2. Time
3.
The Width of a Circle
4. Let's Spend the Night Together (The Rolling Stones cover)
5. Suffragette City
6. White Light/White Heat (The Velvet Underground cover)
7. 
The Jean Genie (with Jeff Beck)
8.
Love Me Do (The Beatles cover) (with Jeff Beck)
9.
Around and Around (Chuck Berry cover) (with Jeff Beck)
10. Rock 'n' Roll Suicide

"Pomp and Circumstance" by Edward Elgar

映画劇場公開)『Ziggy Stardust: The Motion Picture』(1983)
サントラ)『Ziggy Stardust: The Motion Picture』(1983)

 

 

www.youtube.com

 

 

というわけで、Mick Ronsonと出会った1970年2月3日から「1980 Floor Show」が撮影された1973年10月20日までの3年半を、このジギーのツアーで演奏された曲目を赤字にしながら年表にしてみました。
ほぼ自分のために…

 

 

1970年
2月3日 Marquee ClubでMick Ronsonと初対面。
2月5日 BBC John Peel's "The Sunday Show"に出演。Mick Ronsonも参加。
            → 【The Hype】 Bowie(V) Ronson(G), Tony Viscount (B), John Cambridge(D)
2月22日 The Round House Spring FestivalにThe Hypeで出演し、初ライブ。
3月25日 BBC Andy Ferris "Sound of the Seventies"に出演し、The HypeWaiting For The Man」「The Width Of A Circle」「The Wild Eyed Boy From Freecloud」「The Supermenを披露。→『THE WIDTH OF A CIRCLE』(2021) 
John Cambridge(D)解雇
4月 代わりに "Woody" Woodmansey(D)が起用され、レコーディング。

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 3rd Album『The Man Who Sold The World』
発売日:1970年11月4日(US盤・左)、1971年4月10日(UK盤・右)
1. The Man Who Sold The World
2. All The Madmen
3. Black Country Rock
4. After All
1. Running Gun Blues
2. Saviour Machine
3. She Shook Me Cold
4. The Man Who Sold The World
5. The Supermen

8月 【The Hype解散。

 

1971年
1月、 Ronson(G), Visconti (B), Woodmansey(D) +Benny Marshall (V)でバンド【Ronno】を結成。シングル「4th Hour Of My Sleep」を発売するも売れず、ロンソンとウッディーは地元Hullに帰る。
1月23日〜2月18日 Bowie、プロモーションのため、初めてアメリカへ。
2月13-14日   ハリウッドのスタジオでBowie一人で10曲ほどデモを録音。
2月14日  個人パーティーに参加、弾き語りにて「All The Madmen」「Space Oddity」「Amsterdam」「Hang On To Yourself」を披露。
2月25日 Trident Studios(Luxembourg Studios?)でMoonage Daydream」「Hang On To Yourselfを録音。→Freddie Burrettiとのユニット【The Arnold Corns】の名義で5月にシングルリリース。
4月23日   Trident Studiosで「Rupert The Riley」「The Man(→Lightning Frightening)」「How Lucky You Are」を録音。Ken Scottと出会う。

5月〜 Viscontiが抜け、Trevor Bolder(B)が加入した【Ronno】とデモ音源を録音。
5月 ロンドンで山本寛斎のファッション・ショーを見て、「因幡の白兎」を購入。
6月3日 BBC John Peel's "In Concert"に出演し、【Ronno】+Marc Carr Pritchard(G), Geoff Alexander(B, V)、Geroge Underwood(V)、Dana Gillespie(V)、Queen BitchBombersSupermenLooking For A Friend」「Almost Grown」(Chuck Berry)、「KooksSong For Bob Dylan」「Andy Warhol」「It Ain't Easy」(Ron Davis)を演奏。この後、バンドメンバーはBowieの住むHadden Hallに引っ越す。

6月23日 Grastonbury Festivalに弾き語りで出演し、「Oh You Pretty Things」「Kooks」Changes」「Amsterdam」「The Supermen」「Memory of A Free Festival」「Sonf For Bob Dylanを演奏。
7月 レコーディング
9月8日 RCAとの契約のため、NYへ。パーティーLou ReedIggy Popに出会う。 
9月14日 Andy WarholのFactory訪問。
9月〜 レコーディング
11月 Trevor BolderがBowieのヘアカット。
12月 Suzy Fussey(→Ronson) がBowieのヘアカット。

 

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 4th Album『Hunky Dory

発売日:1971年12月17日
1.  Changes
2.  Oh! You Pretty Things
3.  Eight Line Poem
4.  Life on Mars?
5.  Kooks
6.  Quicksand
1.  Fill Your Heart (Biff Rose cover)
2.  Andy Warhol
3. Song for Bob Dylan
4. Queen Bitch
5. The Bewlay Brothers

 

1972年
1月〜 レコーディング続く。
1月18日 『時計仕掛けのオレンジ』を鑑賞し、夜、ジギーのジャケ写真撮影。
1月22日 「ゲイ」発言のあるインタビューの掲載されたメロディーメーカー発売。
1月29日〜 UK Tour のウォーミングアップとしてAylesburyにてアコースティックライブ。その後8ヶ月で64公演。(2/10,11,12,14,18,23,24,25,26,28, 3/1,4,7,14,17,21,24, 4/9,20,21,29,30, 5/3,6,7,11,12,13,14,19,23,25,27, 6/2,3,4,6,7,8,16,17,19,21,24,25, 7/1,2,8,15, 8/19,20,27,30,31, 9/1,2,3,4,5,6,7)と、イギリス各地でライブ。

2月7日 BBC TV "The Old Grey With Whistle Test"にてOh, You Pretty Things」「Queen Bitch」「Five Yearsを演奏。
3月 Bowie、髪をオレンジに染める。
3月17日 写真家Mick Rockと出会う。4月に自宅でフォトセッション。
4月9日 Mott The Hoopleのライブを初めて見る。バンドへ「All The Young Dodes」を提供し、5月14日、Olympic Studioで録音。→

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5th Album『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars

発売日:1972年6月6日
1. Five Years (1971年11月15日録音)
2. Soul Love (1971年11月12日録音)
3. Moonage Daydream (1971年11月12日録音)
4. Starman (1972年2月4日録音→72年4月28日シングルリリース)
5. It Ain't Easy
1. Lady Stardust (1971年11月12日録音、デモの録音は71年1月)
2. Star
3. Hang On to Yourself
4. Ziggy Stardust (1971年11月11日録音)
5. Suffragette City
6. Rock 'n' Roll Suicide (1972年2月録音)

 

6月26日John, I'm Only Dancing録音。
6月30日 マネージャーのTony Defriesが「メインマン」を設立。
7月5日 BBC TV "Top of the Pops"に出演、「Starman」を演奏。翌日放映され、話題に。
7月8日 Royal Festical Hallでのチャリティーイベントに出演。ゲストのLou Reedと「White Light/White Heat」「Waiting For The Man」「Sweet Jean」を共演。高橋靖子、鋤田正義と出会う。
8月11日〜 Lou ReedTransformer』レコーディング。ボウイとロンソンがプロデュース。
8月19日、20日 大規模なRainbow Theater公演。Lindsay Kempらがゲスト出演。
9月10日 クイーンエリザベス号で渡米。
9月17日 NY着
9月18日   ツアー用ピアニストのオーディションでMike Garsonを採用。
9月22日〜12月2日 US Tour(9/22,24,28, 10/1,7,8,11,13,15,20,21,27,28, 11/1,4, 14, 17,20,22,25,26,28,29,30, 12/1,2)
10月6日 RCA Studio, NYCにて「The Jean Genie」を録音。
10月20日 Santa MonicaのライブをRCAが録音、FMで放送。→2008年公式リリース
10月24-25日 Iggy Pop & The Stoogees『Raw Power』をミックスダウン。
12月4-5日 RCA Studio, NYCにて「Drive-in Saturday」「The Prettiest Star」「All The Young Duudes」「Zion(A Lad in Vain)」録音。
12月21日 クイーンエリザベスⅡ世号で帰国。
12月24日〜 UK Tour 2 (12/24, 1/5,6,7,9)

1973年
1月3日 BBC TV "Top of the Pops"に出演しThe Jean Genieを演奏、翌日放映。
1月17日 LWT South Bank Studios "Russell Harry Plus"に出演し、Drive-in Saturday」「My Deathを演奏、1/20に放映。

レコーディング。
1月25日 クイーンエリザベスⅡ世号で渡米。
1月30日 NY着。 
1月14日〜 US Tour 2、1ヶ月で12公演(1/14,15,16,17,18,19,23,25, 3/1,2,10,12)
鋤田正義、山本寛斎、高橋靖子も参加。
2月7日 Stevie Wonderに出会う。
3月19日 オロンセイ号に乗船。
4月5日 横浜港着。
4月6日 帝国ホテルで記者会見。
4月7日 歌舞伎「鰯売恋曳網』(三島由紀夫)を鑑賞。中村勘三郎の楽屋訪問。
4月8日〜 JAPAN Tour(4/8,10,11 新宿厚生年金会館、12 名古屋市公会堂、14 広島郵便貯金会館、16 神戸国際会館、17 大阪厚生年金会館、18,20 渋谷公会堂

 

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6th Album『Alladin Sane

発売日:1973年4月13日
1.  Watch That Man
2.  Aladdin Sane (1913–1938–197?)
3.  Drive-In Saturday
4.  Panic in Detroit
5.  Cracked Actor
1.  Time
2.  The Prettiest Star
3.  Let's Spend the Night Together
4.  The Jean Genie
5.  Lady Grinning Soul

 

4月21日 横浜港よりジェルジンスキ号でウラジオストクへ。
4月24〜30日 シベリア鉄度でモスクワへ。2日間滞在。
5月2-3日 オリエント急行でパリへ。Jacque Brelに出会う。
5月4日 ホバークラフトで帰国。
5月5日 お帰りパーティーCoco Schwabと出会う。
5月12日〜 UK Tour 3、1ヶ月半で42公演(5/12,16,17,18,19,21,22,23,24,25,27,28,29,30,31, 6/1,3,4,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,18,19,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30, 7/2,3)

5月23日 Brigton公演をBBCが取材。6/5に「Nationwide」という番組で放映。
6月14日 ステージで脚を骨折。
7月3日 Hammersmith Odeonでのジギー最後のコンサート。この日の映像はまず74年10月25日、米ABC系列で60分短縮版が放映。79年8月英エディンバラ国際映画祭にて上映。83年劇場公開、サントラ発売。84年ビデオ発売…)
8月 パリ郊外のChâteau d'Hérouvilleにて『Pin-ups』を録音。Ronson(G)Bolder(B)、Garson(Pf)は参加、Woody(D)は不参加。

10月18,19,20日 Marquee Clubにて「The 1980 Floor Show」を撮影。11/16米放映。

 

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7th Album『PIN-UPS

発売日:1973年10月19日
1. Rosalyn (original: Pretty Things)
2. Here Comes the Night (original: Them)
3. I Wish You Would (original: The Yardbirds)
4. See Emily Play (original: Pink Floyd)
5. Everything's Alright (original: The Mojos)
6. I Can't Explain (original: The Who)
1. Friday on My Mind (original:  The Easybeats)
2. Sorrow (original: The Merseys)
3. Don't Bring Me Down (original: Pretty Things)
4. Shapes of Things (original: The Yardbirds)
5. Anyway, Anyhow, Anywhere (original: The Who)
6. Where Have All the Good Times Gone (original: The Kinks)

 

 

Ziggyツアーセットリストに入った曲
(1972年2月10日~1973年7月3日)

Aladdin Sane (1913-1938-197?)
All The Madmen
All The Young Dudes
Andy Warhol 
Changes
Cracked Actor
Drive-In Saturday
Eight Line Poem 
Fill Your Heart
Five Years
Hang On to Yourself
John I'm Only Dancing
Memory of a Free Festival
Moonage Daydream
Lady Stardust
Life on Mars?
Looking for a Friend 
Oh! You Pretty Things
Panic in Detroit
Queen Bitch
Quick Sand
Rock 'n' Roll Suicide
She Shook Me Cold 
Song for Bob Dylan
Soul Love (Live debut)
Star
Starman
Suffragette City
Sweet head
The Jean Genie
The Man Who Sold the World
The Prettiest Star
The Supermen
The Width of a Circle

Time
Watch That Man
Wild Eyed Boy From Freecloud
Ziggy Stardust

 

Around and Around (Chuck Berry cover) 
Amsterdam (Jacques Brel cover)
Buzz the Fuzz (Biff Rose cover) 
Fill Your Heart (Biff Rose cover) 
Get a Job (James Brown cover) 
Hot Pants (James Brown cover)
I Can't Explain (The Who cover)
I Feel Free (Cream cover) 
I'm Waiting for the Man (The Velvet Underground cover)
Let's Spend the Night Together (The Rolling Stones cover)
My Death (Jacques Brel cover)
Sweet Jane (The Velvet Underground cover) 
This Boy (The Beatles cover)
White Light/White Heat (The Velvet Underground cover)

 

 

34 ZIGGY IN A DAY

75歳のお誕生日や久しぶりのボックスのこともまだ書けてないけれど、ちょっと調べててびっくりしたのでこちらの表を作成。

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何度も映画館でも見ているジギー映画が、現在、再上映を大々的に行っており、私の住むエリアでは今週末から開始するのですが、全国59館での上映が予定されており、来週は21館で毎日34回上映…ちょっと大丈夫?スパイダーマンと間違ってない???

 

ということで上記のようにタイムスケジュールを表にしてみたところ、朝一ボウイは香川ソレイユ・2の9:30のボウイ。一番遅いボウイはシネ・リーブル神戸の21:15のボウイ。22:55終了。つまり、来週は朝9時半から夜の11時まで、日本のどこかのスクリーンに常にジギーが降臨している。

 

まあ、Bowieはいつも心の中にいるのだけれど!

 

WHITE STAR

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若き日のボウイ映画が作られている…、といううわさが流れてきた最初の頃から怪しい…と思っていた『スターダスト』。息子ダンカンのいぶかし気な反応も流れてきて()、そうだよなあ、と思っていたら、まさかの日本公開。

 

しかもわりと宣伝に力入ってる!!

davidbeforebowie.com

 

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ということで、だいぶ勇気を出して見に行ってきました。

冒頭、「What follows is (mostly) fiction」という文字が出て、字幕は確か「事実に基づいた物語」。カッコに入ったmostlyがポイントだけど、訳者は「これは(ほぼ)フィクションです」という場合の「(ほぼ)」は、むしろほとんど事実だ、という解釈だったのだろう。

しかし我々ボウイストはここにひっかかる。そもそも我々、みんなBowieを見ているつもりでも、何も共有していないんじゃないか?というくらい、それぞれのBowieを見ているし、それぞれが自分にとっての「本当のBowie」を創り上げていて、こうはっきりと「事実」を含むとほのめかされると、何が事実で何がフィクションなのか、対峙する準備ができていないのだ。

 

1971年のボウイ。初めてアメリカにやってきた彼と、そこへ来るまでの過去が時折挿入される作り。

一応実際の記録によると、1969年にようやく「Space Oddity」がヒットし、イギリスでは知られる存在となった後、ベックナムの大邸宅、ハドン・ホールに引っ越し、アンジーと新婚生活を始めていた。70年にはミック・ロンソン、トニー・ヴィスコンティ、ジョン・ケンブリッジとバンドThe Hypeを結成。

www.youtube.com

 

すでにこのバンドでみんなアメコミヒーローのような衣装を着せられているけれど、この映画の中では、72年になってThe spiders from Marsの時に初めて変な服を着せようとしていやがられるというエピソードが出てくる。

70年4月にマネージャーのKen Pittを解雇。6月、Tony Defriesと契約。

この頃、兄のテリーが精神科に入院。

11月に3rd Album『The Man Who Sold The World』のアメリカ版がMercuryから発売に。ジャケットは精神病院の前に立つカウボーイのイラスト。

71年1月23日、アルバムのプロモーションのためワシントンに到着。映画はこの到着シーンから始まっている。ここでBowieの世話をしたRon Obermanは映画では二人旅の相棒として大きく取り上げられていたけれど、実際はよくわからない人物のよう。

 

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アメリカ側の準備不足で、まともにライブもできず、地方をドサ周り。

ワシントン→ニューヨーク→デトロイト→シカゴ→ハリウッド→ミルウォーキー→ヒューストン→サン=フランシスコ→ロス=アンジェルス。

 

NYではVelvet Undergroundのライブを見る。

BowieがLouだと思って話しかけていたのは、実はよく間違えられるのでLouのふりをしていたDoug Yuleだった、というのが映画のエピソード。ここでボウイの言う「スターとスターのふりをしている人物のどこが違うんだ」というようなセリフがこの映画で一番良かったセリフだった。

実際、この時もうLouはVUを脱退している。

このアメリカ旅行については、以下の本に詳しい。

honto.jp

 

 

この後、2月18日にはロンドンに戻る。

 

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映画ではこの旅でウォーホルのFactoryも訪問しているけれど、おそらく実際はこの後、9月にRCAとの契約のために再度NYを訪れた際、アンジーやTony Defriesと共に訪れていた様子。

 

www.davidbowienews.com

 

 

 

という感じで、ボウイが兄の入院によって精神病になる恐怖を抱きながら、このアメリカ一人旅を通して得たヒント、別人格やスターの仮面、そしてもともと感心のあった歌舞伎などを融合させて、1972年についにZiggyが誕生し、ライブを行う、というのが映画の筋書き。ちりばめられているヒントが、ボウイファンにはピンとくるものばかりだけれど、それらがぼんやりしている状態からなぜああして結晶したかというところは描かれてない。

ライブシーンは実際の「映像」に近づけてあるのが微妙にボラプと同じことをしているとも言えるけれど、あちらと違うのは、本人の音源が使えなかったので、口パクせず、ボウイがやっていたカバー曲だけを、ミュージシャンでもあるジョニー・フリン自身がモノマネでなく歌っていること。ここは好感。

ただ、時折流れる「ボウイぽい」メロディーや音色の音楽が辛かった。

観客のボウイイメージの「利用」については大胆で、こういう無邪気さこそが我々ボウイファンが警戒しているところだったと思うので、個人的にはむしろ全然違う名前で、違う物語で、それでもこの時期のボウイを描く、というより、この映画のテーマを描こうする映画なら、もっとずっと好きだったと思う。

 

というのも、私はこの『スターダスト』を見る二日前に、ある映画を見て「あれ?ボウイ?」と思ったために、『スターダスト』をがんばって見に行くことに決めたので。

 

その映画がこちら。

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ドイツ出身のローラント・クリック監督『White Star』(1983)。

www.youtube.com

 

このドイツ映画史から浮いた監督は、音楽にCANを起用した『Deadlock』という1970年の映画がカルト的に知られていたけれど、2008年以降はドイツで再評価されているらしい。当時のニュー・ジャーマン・シネマの主流とは一線を画す、非政治的な商業映画を撮る監督。

demachiza.com

 

この『White Star』では主演にデニス・ホッパーを起用。西ベルリンの音楽業界を舞台に、かつて敏腕マネージャーだったというアメリカ人のホッパーがムーディという「顔がいい」と言い続けられる、ふにゃふにゃした謎の男をスターにしようと奔走するという話。

最初のムーディーの演奏シーンで、王子然として美しく髪を整え、白いスーツでシンセを神妙な面持ち弾く様子が「あれ?これ78年頃のボウイ?」と思ってから、タイトルが『☆』なことを思い出し、一気にいろいろとつながったのでした。

このクリック監督、この『White Star』の前にあの『Wir Kinder vom Bahnhof Zoo(クリスチーネ・F)』の監督をするはずだったのが、実際のヤク中の子供たちを起用したいなどなどの、意見が制作側に受け入れられず、撮影二週間前におろされたらしく…

この「顔がいい」ばかり言われて、全然音楽を聴いてもらえないムーディーが、大手のレコード会社との契約ばかりを目指していることなど、当時EMIと大々的に契約して、世界的スターになろうとしていたボウイへの逆恨み的な描写?と勘ぐってしまったのでした。

 

ただ、この話をTwitterに書いたところ、むしろこのムーディーを演じていた俳優の方に、Bowieへの接点があるという話を教えていただきました。

 

 

このVivabeatというバンドには、JAPANのドラマーだったRob Deanも参加していたらしく、この「ムーディー」の風貌にボウイ、というかシルヴィアン?という面影を見ていたのとも繋がって納得…。

聞いてみると、モロ!!!!

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なので、ボウイへの恨み節だったというよりは、80年代初頭のニューウェーブ系、ニューロマ系のバンドでボウイの影響受けてないはずがない、という事実を改めて確認するに至ったのだけれど、タイトルが『☆』なのは偶然ながら面白くて、『★』の喚起するイメージがまた広がったのでした。

 

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AMERICAN UTOPIA

先日、楽しみにしていたSpike Lee監督の映画『DAVID BYRNE'S AMERICAN UTOPIA』が公開され、さっそく初日に見てきました!

 

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David Bryneに関しては、不思議なことに特にこのBlogでとりあげたことがなかったと思うけれど、Bowieとの接点、Brian Enoくらいかな?と思っていたら、今回調べてたら色々出てきて面白かったので、ちょいとまとめておこう。

 

David ByrneTalking Headsや『My Life In The Bush Of Ghosts』はもちろん好きだけど、2008年のEnoコラボ作『Everything That Happens Will Happen Today』が好きで、2018年に久々に二人がコラボした同名タイトルのアルバムが出た時もまっさきに聞いておりました。
とにかく『DAVID BYRNE'S AMERICAN UTOPIA』は「明るい!!」という印象だったのだけど、これ、むしろBrian Enoの明るさなんじゃないかな、とまで思ったりしながら見ていたけれど、とりあえずByrneとBowie周辺の歴史を追ってみると…

 

1973年11月 Fripp & Eno『(No Pussyfooting)』発売

1975年12月 Fripp & Eno『Evening Star』発売

 

1976年6〜9月〕フランスで『Low』のレコーディング。808の公演後にEnoも合流

9月末〕Bowie、ベルリンへ移住。EnoやIggyもベルリンへ

 

1977年1月14日 BOWIE『LOW』発売

3月〜5月〕Bowie、Iggyの世界ツアーにキーボーディストとして同行(前座はBlondie

6月〕Eno、『Cluster & Eno』、『After The Heat』及び『Before and After Science』のレコーディング

6月〕Bowie、ハンザスタジオでIggy『Lust for Life』のレコーディング

8月〕Bowie、Eno、ハンザスタジオで『Heroes』のレコーディング(Guitar: Robert Fripp)

10月13日 BOWIE『Heroes発売

10月〜1978年2月〕Devoのレコーディング

 

1978年3月〜6月〕BOWIE ISOLAR II ツアー(Guitar: Adrian Belew)

3月〜4月〕Eno、『More Songs About Buildings and Food』、『NO NEW YORK』のレコーディング

7月14日   TALKING HEADS『More Songs About Buildings and Food』発売。

8月〜9月〕スイスに移住し、『Lodger』のレコーディング(Guitar: Adrian Belew)

8月28日 DEVO『Q. Are We Not Men? A. We Are Divo!』発売

11月 V.A.『NO NEW YORK』発売

11月〜12月〕BOWIE "The Oz Tour(ISOLAR II ツアー)”(Guitar: Adrian Belew)

 

1979年 3月『Lodger』のレコーディング続き

Eno、NYに移住

4月22日〜5月6日〕Eno、『Fear of Music』のレコーディング(Guitar: Robert Fripp)

5月18日 BOWIE『Lodger』発売

5月〕Bowie、NYに戻る。Greek TheaterのTalking Headsのコンサートへ

後日、Nicoの仲介でDavid Byrneと出会う

8月3日 TALKING HEADS『Fear of Music』発売

5月〜1980年7月〕Eno、『My Life in the Bush of Ghosts』のレコーディング

12月〕 Bowie、サタデーナイトライブにクラウス・ノミと出演

 

1980年2月〜3月〕 Bowie、『Scary Monsters』のレコーディング(Guitar: Robert Fripp)

7月〜8月〕Eno、『Remain in Light』のレコーディング(Guitar: Adrian Belew)

9月12日  BOWIE『Scary Monsters』発売

10月8日  TALKING HEADS『Remain in Light』発売

11月〜1981年4月〕TOM TOM CLUB レコーディング(Guitar: Adrian Belew)

 

1981年2月 Eno&Byrne『My Life in the Bush of Ghosts』発売

10月  TOM TOM CLUBTOM TOM CLUB』発売

 

 

というわけで、Bria Eno先生以外のキーパーソン達。

 

Robert Fripp(ギタリスト)

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1967年にキング・クリムゾンを結成。1973、75年にはEnoと共同アルバムを発表。Bowieの『Heroes』『Scary Monsters』に参加。また、Enoを介してTalking Headsの『Fear of Music』に参加後、1980年のソロアルバムのボーカルにDavid Byrneを起用。

www.youtube.com

 

 

Adrian Belew(ギタリスト)

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1977年にフランク・ザッパのバンドに参加。そのライブを見たボウイから声をかけられ、1978年のボウイの世界ツアーに参加。Enoを介してTalking Headsの『Remain in Light』、Tom Tom Clubのレコーディングやライブにも参加し、キング・クリムゾンのメンバーとなる。

 

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Toni Basil(ダンサー、女優、振付師)

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Bowieの企画していたミュージカル『1984』で振付を依頼されていた。その後、グラススパイダーツアーで振付を担当。Talking Headsの「Once in a Lifetime」の振付のみならず監督も。www.youtube.com

 

 

さてEnoを介して(も介さなくても)、互いに同じ時代に同じように英米以外の音楽に耳を開いていたDavid BowieDavid Byrne

グラム時代のボウイのことは遠目に見ていたバーンも、Enoとコラボした『Low』には影響を受けたことをインタビューで語っている。

faroutmagazine.co.uk

 

もちろんBowieも影響を受けており、「DJ」は明らかにByrneの歌唱をまねている。

youtu.be

 

親しい間柄というわけでは全くなかったようだけれど、Bowieは1996年に「ロックの殿堂入り」を果たした際に、プレゼンターをByrneに依頼。

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そして2016年の「ロックの殿堂」では、ボウイの追悼パフォーマンスとして「Fame」を演奏。

 

www.youtube.com

 

2018年1月13日のNYで開かれたThe Radar Festivalでは、「Heroes」を。

www.youtube.com

 

 

こうしてByrneがBLM運動がシリアスな問題である中、作り上げたステージの映像が、より切実な光に思えるようになったコロナ禍の2021年。

ボウイならどうしてたかな…とどうしても考えてしまう。

 

 

 

DOMMUNEの「American Utopia」特集のアーカイブが面白かった!

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