bowie note

David Bowieをキーワードにあれこれたどってみるノート。

WHITE STAR

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若き日のボウイ映画が作られている…、といううわさが流れてきた最初の頃から怪しい…と思っていた『スターダスト』。息子ダンカンのいぶかし気な反応も流れてきて()、そうだよなあ、と思っていたら、まさかの日本公開。

 

しかもわりと宣伝に力入ってる!!

davidbeforebowie.com

 

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ということで、だいぶ勇気を出して見に行ってきました。

冒頭、「What follows is (mostly) fiction」という文字が出て、字幕は確か「事実に基づいた物語」。カッコに入ったmostlyがポイントだけど、訳者は「これは(ほぼ)フィクションです」という場合の「(ほぼ)」は、むしろほとんど事実だ、という解釈だったのだろう。

しかし我々ボウイストはここにひっかかる。そもそも我々、みんなBowieを見ているつもりでも、何も共有していないんじゃないか?というくらい、それぞれのBowieを見ているし、それぞれが自分にとっての「本当のBowie」を創り上げていて、こうはっきりと「事実」を含むとほのめかされると、何が事実で何がフィクションなのか、対峙する準備ができていないのだ。

 

1971年のボウイ。初めてアメリカにやってきた彼と、そこへ来るまでの過去が時折挿入される作り。

一応実際の記録によると、1969年にようやく「Space Oddity」がヒットし、イギリスでは知られる存在となった後、ベックナムの大邸宅、ハドン・ホールに引っ越し、アンジーと新婚生活を始めていた。70年にはミック・ロンソン、トニー・ヴィスコンティ、ジョン・ケンブリッジとバンドThe Hypeを結成。

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すでにこのバンドでみんなアメコミヒーローのような衣装を着せられているけれど、この映画の中では、72年になってThe spiders from Marsの時に初めて変な服を着せようとしていやがられるというエピソードが出てくる。

70年4月にマネージャーのKen Pittを解雇。6月、Tony Defriesと契約。

この頃、兄のテリーが精神科に入院。

11月に3rd Album『The Man Who Sold The World』のアメリカ版がMercuryから発売に。ジャケットは精神病院の前に立つカウボーイのイラスト。

71年1月23日、アルバムのプロモーションのためワシントンに到着。映画はこの到着シーンから始まっている。ここでBowieの世話をしたRon Obermanは映画では二人旅の相棒として大きく取り上げられていたけれど、実際はよくわからない人物のよう。

 

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アメリカ側の準備不足で、まともにライブもできず、地方をドサ周り。

ワシントン→ニューヨーク→デトロイト→シカゴ→ハリウッド→ミルウォーキー→ヒューストン→サン=フランシスコ→ロス=アンジェルス。

 

NYではVelvet Undergroundのライブを見る。

BowieがLouだと思って話しかけていたのは、実はよく間違えられるのでLouのふりをしていたDoug Yuleだった、というのが映画のエピソード。ここでボウイの言う「スターとスターのふりをしている人物のどこが違うんだ」というようなセリフがこの映画で一番良かったセリフだった。

実際、この時もうLouはVUを脱退している。

このアメリカ旅行については、以下の本に詳しい。

honto.jp

 

 

この後、2月18日にはロンドンに戻る。

 

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映画ではこの旅でウォーホルのFactoryも訪問しているけれど、おそらく実際はこの後、9月にRCAとの契約のために再度NYを訪れた際、アンジーやTony Defriesと共に訪れていた様子。

 

www.davidbowienews.com

 

 

 

という感じで、ボウイが兄の入院によって精神病になる恐怖を抱きながら、このアメリカ一人旅を通して得たヒント、別人格やスターの仮面、そしてもともと感心のあった歌舞伎などを融合させて、1972年についにZiggyが誕生し、ライブを行う、というのが映画の筋書き。ちりばめられているヒントが、ボウイファンにはピンとくるものばかりだけれど、それらがぼんやりしている状態からなぜああして結晶したかというところは描かれてない。

ライブシーンは実際の「映像」に近づけてあるのが微妙にボラプと同じことをしているとも言えるけれど、あちらと違うのは、本人の音源が使えなかったので、口パクせず、ボウイがやっていたカバー曲だけを、ミュージシャンでもあるジョニー・フリン自身がモノマネでなく歌っていること。ここは好感。

ただ、時折流れる「ボウイぽい」メロディーや音色の音楽が辛かった。

観客のボウイイメージの「利用」については大胆で、こういう無邪気さこそが我々ボウイファンが警戒しているところだったと思うので、個人的にはむしろ全然違う名前で、違う物語で、それでもこの時期のボウイを描く、というより、この映画のテーマを描こうする映画なら、もっとずっと好きだったと思う。

 

というのも、私はこの『スターダスト』を見る二日前に、ある映画を見て「あれ?ボウイ?」と思ったために、『スターダスト』をがんばって見に行くことに決めたので。

 

その映画がこちら。

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ドイツ出身のローラント・クリック監督『White Star』(1983)。

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このドイツ映画史から浮いた監督は、音楽にCANを起用した『Deadlock』という1970年の映画がカルト的に知られていたけれど、2008年以降はドイツで再評価されているらしい。当時のニュー・ジャーマン・シネマの主流とは一線を画す、非政治的な商業映画を撮る監督。

demachiza.com

 

この『White Star』では主演にデニス・ホッパーを起用。西ベルリンの音楽業界を舞台に、かつて敏腕マネージャーだったというアメリカ人のホッパーがムーディという「顔がいい」と言い続けられる、ふにゃふにゃした謎の男をスターにしようと奔走するという話。

最初のムーディーの演奏シーンで、王子然として美しく髪を整え、白いスーツでシンセを神妙な面持ち弾く様子が「あれ?これ78年頃のボウイ?」と思ってから、タイトルが『☆』なことを思い出し、一気にいろいろとつながったのでした。

このクリック監督、この『White Star』の前にあの『Wir Kinder vom Bahnhof Zoo(クリスチーネ・F)』の監督をするはずだったのが、実際のヤク中の子供たちを起用したいなどなどの、意見が制作側に受け入れられず、撮影二週間前におろされたらしく…

この「顔がいい」ばかり言われて、全然音楽を聴いてもらえないムーディーが、大手のレコード会社との契約ばかりを目指していることなど、当時EMIと大々的に契約して、世界的スターになろうとしていたボウイへの逆恨み的な描写?と勘ぐってしまったのでした。

 

ただ、この話をTwitterに書いたところ、むしろこのムーディーを演じていた俳優の方に、Bowieへの接点があるという話を教えていただきました。

 

 

このVivabeatというバンドには、JAPANのドラマーだったRob Deanも参加していたらしく、この「ムーディー」の風貌にボウイ、というかシルヴィアン?という面影を見ていたのとも繋がって納得…。

聞いてみると、モロ!!!!

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なので、ボウイへの恨み節だったというよりは、80年代初頭のニューウェーブ系、ニューロマ系のバンドでボウイの影響受けてないはずがない、という事実を改めて確認するに至ったのだけれど、タイトルが『☆』なのは偶然ながら面白くて、『★』の喚起するイメージがまた広がったのでした。

 

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