昨日は友人や友人の友人などが集まって、みんなで『戦場のメリークリスマス』を観ました。
無駄に本気ぽいフライヤーを作ったりして。
ちょうどリデザインで「OSHIMA GANG」Tシャツが販売していたので、購入し、着用!
これです。これホント良い写真。
大島さんが亡くなった時、ボウイはこんなコメントを出してた。
All of us who have had the privilege of working with Oshima-san will miss his spirit tremendously.
(オオシマさんとの仕事という恩恵を授かった我々は皆、彼の魂が旅立ったことをとても寂しく思うだろう)
そう、中学以来戦メリを観たことがなかったので、戦メリが大島映画であること、David Bowieが大島映画に出ていることは、改めて考えてみると、とても不思議だ。
しかしこの映画の「恩恵」は深く、坂本龍一が世界的な映画音楽家に、たけしが世界的な映画監督になったこと、そして日本でのボウイ大ブームも、きっかけは戦メリ以外の何物でもない。
原作はヴァン・デル・ポスト。
ちょうど先頃、そのデビュー作が翻訳出版されたけれど、数々の作品の中でもとくにアフリカをめぐるものが多いということは、またもボウイに「繋げられた」という驚きだった。
改めて戦メリを観て感心するのは、まずはたけしの素晴らしさ。この無防備な良さにはなかなか太刀打ちできないのでは。
そしてボウイの細やかな所作の雄弁さ。
パントマイムでエアタバコを吸った後、
足で踏み消し、そっと両足を揃える動き。
さらに「決心」をして、歩み出て行く際に、袖のホコリを払う様子。
セリフ以外でのこうしたボウイの身体表現能力は、彼がその時なっている人物の心の内を本当に明確に、シンプルに伝えている。
戦メリは、深淵(そうな)テーマを扱いながら、読み解き切れない(あまりカンペキ感がない、というか隙がある)こと、そしてちょっと笑えるのだけれど、私が思う大島映画の良さは、彼が決して映画で現実を再現しよう、ナチュラルにやろうなど思ってもいないことで、 この作品も「作り物」であることを決して恐れることなく、全力で「作って」いる。
坂本龍一の化粧がケバいことも笑ってしまって全くOKだと思う。
…ごめん、出てくる度に笑っちゃう。
戸浦六宏が居るだけで沸き上がる「大島映画」感。その中にあのデヴィッド・ボウイが…!という違和感。
たけしが「コノヤロウ」と言うと、ギャグに聞こえる。
あと、「あの人があの人を!」みたいな見方するとめちゃくちゃ面白い。
私は三上寛のライブは一度だけしか観たことないですが、あの人がボウイをボコってた、って思うと、いやあ…ジワジワ来る…
「ロケンロー」「…」
ロックがテクノに殺される日。
ロックンロールの自殺者。
というわけで、一緒に観た友人たちも面白がってくれていたようで良かったです。
ところで実はこの映画を観る前に、私的実験で、サイレント映画の伴奏というのをやってみたく、キートンの短編を上映し、それに即興、および楽譜を用意して伴奏していたので、戦メリの方もついつい「音楽」に注目しながら観ておりました。
わりと映画音楽としては「ベタ」だな、という印象もあるけれど、やはり同じメロディーをどの場面とどの場面で共有させるか、あるいはシンセと弦楽器の音質の差をどこで出すか、など、面白い試みが色々ありました。
いやあ、映画はほんと面白いなあ〜という再確認の日になってよかった。