sun-licked
今週は訳あって、ボウイ史総復習ウィーク。
というわけで、色々探していると、こんな論文(というよりは研究ノート)を見つけました。
英文学論集 23, 12-22, 2016-03-15
ほうほう、I'd Rather Be Highの話だ!と、以前私が調べたことを思い出しながら読む。
ナボコフ研究者の筆者は、ボウイの訃報に際して、彼がナボコフの『賜物』を読んでいただろうことを知って、非常に嬉しくなったのだそう。
面白いな、と思ったのは、『賜物』はロシア語で書かれた最後の作品で、英語にはもちろん翻訳されているものの、あまり読まれていない作品であるということ。
へええ!
(日本というのはホント、色んな言葉の文学を日本語で読めるという貴重な環境なので、いくら海外翻訳の売り上げが落ち込んでいても、これを絶やしたらもったいなさ過ぎる!)
しかし、その後、国際ナボコフ学会のメーリングリストの上方から、ボウイは『賜物』そのもの、というより、Otto Friedrichの「Before the Deluge: A Portrait of Berlin in the 1920s」を愛読していており、その中にちょうど『賜物』のこの部分が引用されているのだそう。
決してボウイが『賜物』を読んでいないと断言されているわけではないし、読んでいるかもしれない。少なくともこの部分は引用を読んでいるのだし、作品を通読したかしていないかはどちらでも良いのでは?
と、おそらく一般には判断されることでしょう。
でも文学研究者であるこの筆者がここにこだわるのは凄くよく分かる。
(けれど、その後展開される「勘違い」というテーマとは少しズレている気はする…)
David Bowie // 'Station to Station' Scene in 'Christiane F.'
JUNE
今月はコツコツしてました。
そもそも「1から順に把握したい」欲求が強いので、クロニクルとかリストとか、作るのが偏狭的に好きなので、時系列、いつ、何が、その時裏では、とか整理したくてしょうがない性分…
エクセルで曲目リストをBowieとPrinceと、同時に作ってしまいました。
PはVaultなどを参照して、BowieはPegg本を参照して。
そしたら一応全部把握していたつもりだったBowieにも、まだ「なに?この曲…」ってのが出てくるので、あわてて『hours...』のspecialなedithionをDLしたり。
それに対して、Pは「unreleased」の嵐。そしてけっこうこの数ヶ月でネットに落ちてる。そこで出会ったこの曲に完全に心奪われ…
PRINCE - IN THE LARGE ROOM WITH NO LIGHT #PRINCEMUSIC. #PRINCE WE LOVE YOU
気付いたら、Pのブートという別のギャラクシー世界の扉を開けかけ…
やばいやばいやばいやばい……
落ち着こう。
He Cried Aloud Into The Crowd
雨がよく降るこの星では、
呼吸をしている動物や植物は、ちょっと中の水分が多くなって、ぶよっと滲んでる。
輪郭からこぼれてしまわないように我慢をしているのか。
けっこう泣き虫な私だけど、この半年、とくに4月21日以降は、けっこうカチカチ。
この水分過多の日々も、ゼラチンが水を吸ってるような感じ。
だって、意識したら、この皮膚の薄さを気付いちゃったら、どうなるよ。
BOWIEが用意周到に地球から居なくなったショックと、
Princeが用意もできずにHomeに帰ってしまったことと。
はい、思考停止。
でも、そもそもそんなこと自体、私の在り方とはあまり関係ないのではないか。
その2つの星のことを意識せず、何十年か生きてきて、たった2年、たった数ヶ月だけの熱狂と崇拝と信頼。
2つの星たちそれぞれと寄り添って生きてきたわけではなかったでしょう。
では私は何でここに?なんだっけ私は。私の使命は……
と、そんな堂々巡り。
昨夜(今朝)、棚からマイラブ岡村ちゃんの載った本などが落ちてきて、眼が覚めた。
何かあったのでは?という、暗闇で高まる例の不安。
1.岡村ちゃん逮捕
2.岡村ちゃん死去
3.岡村ちゃん結婚
この三大ショック可能性が頭をよぎり、どれも辛いけど、せめて3であってくれ、と祈る。
世界中に影響を及ぼすであろう国民投票の結果がでたイギリスも、大統領候補がヤバいアメリカも怪しい雲行き。
もちろん日本が一番怖い。
なんでこれほどまでに、子供の頃から「間違ったこと」と信じてきた方向に世界が歩もうとしているのか。
どれだけデモで歩いたって声を枯らしたって、「衆愚」とされた我らを操ってる電通に支配された「ムード」の強さには負ける。
意図しない方向にいくらでも進まされる。
って、そんな「手口」、分かってたでしょ、べんきょしたでしょ。
このテレビが世論を作ってきた数十年の弊害に、どうして要領良く対抗する力を持てなかったのか。持たなかったのか。
「信じる」「祈る」だけではナントカならなかった。
抵抗する自分を称えながら死に絶えるなんてまっぴら。
ぼくはくたばりたくない。
タバリタ。
B & B
戦争がなくても、
人は人の命を奪い続けているので、
いまだにこんな発想しか出てこないのだけれど、
もしも願いが1つ叶うなら、全ての銃の弾を花に変えてください。
ENUFF IS ENUFF IT'S TIME 4 LOVE
Prince - Baltimore (feat. Eryn Allen Kane)
AT THE CENTER OF IT ALL YOUR EYES
7th JUNE
ファン歴は浅いけれど、BOWIEのお誕生日はBOWIEST仲間と二度お祝いすることができました。
何回も乾杯した。
今年は『★』も出たので、超めでたかった。
二日後のことをまだ知らなかった。
PRINCEは、好きになってまだ半年なので、一度もお祝いしたことがなかった。
やっぱ悲しむより、祝いたいでしょ、生まれてきた日の方を。
ってことで、友達のカフェにお願いして、プリバ(プリンス・バースデー・パーティ)をやらせていただきました。
クッキーを焼いたら、案外うまくいったものの、
アイシングが下手なのは相変わらず…
「紫芋パウダー」を入れたらピンクになった。
檸檬クリームタルトにも紫芋投入!(芋の味はしない)
買ったばかりのプロジェクターはイマイチでしたが、しっとりパープルレインな日に、プリンスにまみれました。
お誕生日、おめでとう。
そんな楽しい時間が終わった後に、SOFT BALLET、森岡氏の訃報を知る。
ベビーラッシュってあるけど、どうなの、こういうのはさ。
帰宅すると、注文していた「愛ペガ」のLPが届いてた。
6月です。
Baby Loves That Way
雨の日曜。
そろそろ5月が終わってしまう。
昨日ははじめて(そして最後に)リアルタイムで入手したPrinceの『HITnRUN phase2』の日本盤を聴いて興奮(DLではなくCDで聞いて音がいいのはもちろん、なんというか「声」の魅力が凄くて)、さらに岡村ちゃん幸福ツアー千秋楽に想いを馳せ…のはずだったのですが、昨夜の「映像の20世紀」のせいか、久々にBOWIE波にがっつり襲われ、聞き続けています。
先週(先々週?)は『地球に落ちて来た男』の爆音上映というのがあり、同時上映の『すべての若き野郎ども』というモット・ザ・フープルのドキュメンタリーも見てきました。
まずMott。
映画「すべての若き野郎ども / モット・ザ・フープル」予告編
爆音上映、最高。
そしてこの映画もとても面白かった。
もちろんMottのステージにBowieがいるって映像だけで涙出るのだけど、
(↓4:11〜から)
Mott the Hoople meet David Bowie
とにかくこのバンドがプロデューサーGuy Stevensの頭の中を体現したものである、ということをメンバー自身がすごく強調するのだけれど、さらにこのイカれた天才Pや、救済の天使であるBowie、Mick Ronsonのスゴ腕ぶりなどばかりが語られ、「ただの音楽好き」の「普通の人間」であることを主張する、お腹の出たメンバーたち。
(イアンだけはスター感が満ちてるけれど)
そしてそんなMottが若い熱狂的ファンをたくさん持っていたことを語る、Mick Jones(ファン)。笑
Mick Jones、一言も「クラッシュ」とか「ロンドン・コーリング」とか言わなかったのがすごい良かった(もちろん話したけどカットされただけかもしれないけど)。
いやあ、興味沸きまくりでした。
Mottのブレイク前の暗いアルバム、聞いてみよう。
そして『地球に落ちて来た男』。
私はこの映画は『ベルベット・ゴールドマイン』公開時に京都みなみ会館で『ジギー・スターダスト』と一緒に公開されたのを観ているはず。
覚えてるのは目からコンタクト?を外すシーンだけだったけど。
その後、近年はもちろん入手したDVDを何度も観ており、「超良くできた〈カルト映画〉」と認定していたのですが、爆音上映、すごい。
全編を覆う「変な音」が際立つことで、再認識。
ああ、変な映画!!
マジメに理解しようとすると全然「訳が分からない」と言われて終わるだろうけど、面白いと思うポイントはきっとそれぞれにめちゃくちゃある。
まずストーリーを一言でいうと、「水を求めて地球にやってきた宇宙人が、ギャルに勧められてジンにはまり、呑みすぎて帰れなくなる」だしね。
私もジンが呑みたくなって、Beefeaterを買って帰って呑んでたら、相当に頭痛。
ジンは一度には、2杯までにしたほうがいい。
THE MAN WHO FELL TO EARTH - Trailer
というわけで、昨年末からPrince愛にどっぷりなことは確かなんですが、Bowieノートも7冊目を作ったり別冊を作ったり、Bowiest活動も地道にやっておりましたが、今夜はそういうことよりも久々にBowie愛が炸裂しています。
いや、炸裂というより、やはり私のBowie愛は穏やかで、なんだかとにかくBowieの音楽の中にいる間は気分が良い、落ち着く、しっくりくる。
MAGAZINES in 2016
久々のナイトウォーキングへ今年はじめて「上着」なしで出かけ、汗かいて戻ってきた。
いつのまにか季節が変わってた。
いつのまにかこんな部屋。
なんなんだよ、2016年。
いつのまにかPRINCEも居なくなって1ヶ月…
BOWIEはまあ、2016年1月号あたりは元々「表紙」だったんですよ。
アルバムが出るから。
でもな…左側の人は…
こうして見てみると、実はあまり媒体、「被ってない」。
分かり易いのは、BOWIE→レココレ、PRINCE→ミュージックマガジン。
80年代の雑誌を探して集めてても歴然と棲み分けられてる。
UNCUTとMOJOはきっとPRINCEが表紙だろう、と、すでに両方とも今月末発売号を予約してたら、UNCUTはPRINCEだけど、MOJOはボブ・ディランだった…
NOTHING COMPARE TO THEM
確かに比肩はできないけれど、比較して「違うなあ〜」というのは、たくさん出てくる。
BOWIEはとにかく誰よりも上の方から広い視界で我々を見ていたイメージ。
誰と誰が自分と作品を作れば、どんな風に面白くなるか、見えていた人、というか天使というか。
だから「Look up here, I'm in heaven」なんてのは、「予言」なんかじゃなく、ずっとそうだったんだろう、と思えてしまう。
★を見上げる時間に外を歩くと、そのどこかに絶対BOWIEは居る。
PRINCEは上じゃない。心の奥底、深く深く、潜り込んだところに居た。
彼の世界はとてつもなく広いので、違和感がないのだけれど、我々は一人の人間の中に沈潜していたのだろう。
P。そして自分自身の。
世界と自分との戦い。
世界を応援してしまうであろうBOWIEと、
自分を…
PRINCEは最初から「勝つ」ことが課題だったから。
BOWIEを識って、ああ、なんて世界は面白いのだ!!という驚き。
PRINCEを識って、ああ、一人の人間には何という可能性があるのだ!!という驚き。
この2種類の驚きは、違うようで、同じなのかもしれない。
たくさんの「トリビュートライブ」が行われていて、今日(きのう)は マドンナが登場。
もっと適任がいるだろうなど、disられてそうだけど、歴史の教科書だと思ってみたら、「マドンナがプリンスを演る」という文字列以上のインパクトはそうそうない。
映像見てみたら、PRINCEの写真が流れ出すと、妙な違和感が出て来たけど、それはでも全然彼女のせいじゃない。
PRINCEが死ぬ、ということ自体の違和感だから。
そして登場、STIEVIE WONDER。ほんと奇跡だ、彼は。
親より先に死んじゃだめだよ、PRINCE…。
笑点だって、歌丸より先に誰か死ぬとか、マジでナシですからね。