本当に偶然なんだけど、前回タイトルにしたNew OrderのIggy Popとコラボした曲名の複数形が、先週出た七尾旅人のアルバムタイトルだった。
旅人を聞き始めたのはまだ20世紀。
卓球とのコラボで名前を知って、しばらくしてから知り合ったHさんと「好きな音楽」の話をしてたら、「旅人」と言われ、気になって『Heavenly Punk Adagio』までのCD全部借りたら、だんだん旅人の声が自分の中から聞こえるようになった。
ライブも年一くらいでは見に行ってる。
さて、今回のアルバム『STRAY DOGS』には「DAVID BOWIE ON THE MOON」という曲が入ってる。
2016年1月2日に利き腕である右手を骨折した旅人。
左手で書いた日記テキストを元に、ぎこちない左手で作って録音した曲たちを「LEFT HAND DIARIES」としてサイトで公開してた。
この曲もそんな中の1曲。
*この辺のことは『ユリイカ』2016年4月号に詳しい。
「携帯電話」や、「このすべてをあげるよ」と、出たばかりのアルバムの歌詞を連想させる語句をちりばめながら、「これからは二人きり」「きみだけに」「きみとしか」と、左利きのBOWIEが語りかけてくる。
さて実はあんなに楽しみにしていた『ボヘミアン・ラプソディ』が「予想内」の感想しか持てず、悲しんでいる。
私だってもっと熱狂したかった。
一緒に「We Are the Champion」と歌い、それを実感したかった。
なんではまり込めなかったか、という理由はわりと分かってるのだけど、それはまあ今は置いておく。
ともかくQueenがWeと歌うとき、そして観客も共に歌う時、その「We」は「みんな」だと思う。Freddieは「みんな」の仲間になりたかったのだろうけど、Bowieは「みんな」の中に入る必要をまず想定してないようなイメージ。
Bowieの「We」はYou and Me、Two of Usでしかない。
なんならそのYouも、Iの投影でしかないかもしれない。
そんなことを考えてると、買い遅れていた『グラストンベリー』のDVD&CDが届く。
ライブエイドのウェンブリーの観客数を1.5倍くらいにした人数が集う大イベント。
ブックレットの解説とボウイの当時の日記が面白い。
90年代をsurviveしてきたBowieが2000年に行った大事なライブ。
最初は堂々としているようで、実は恐る恐る始まったようにも見えたけれど、どんどん興が乗ってくる様子が感動的。「Starman」の時にはもう決壊してボロボロ泣いてしまった。
これだけの観客を前にしたパフォーマンスであっても、やっぱりBowieは私だけに歌いかけ、笑いかけ、寄り添ってくれてるような、そんな気になったりもする。
久しぶりに私の座右の銘(?)であるカフカの「私は終わりであるか、あるいは始まり」を思い出した。20年経っても私はこの不安感とともに生きてる。
David Bowie - Ziggy Stardust live at Glastonbury 2000.