bowie note

David Bowieをキーワードにあれこれたどってみるノート。

Erinnerungsräume

アライダ・アスマン著『想起の空間〜文化的記憶の形態と変遷』を読みました。

 

想起の空間―文化的記憶の形態と変遷

想起の空間―文化的記憶の形態と変遷

 

 *注:リンクはamazonに貼りましたが、水声社の本はamazonでは基本買えません。

 

英独文学、文化史学のアライダ・アスマンが、夫のヤン・アスマンとともに、1980年代末に提唱した「文化的記憶」というコンセプトは、そもそもは1920年代に社会学者のアルヴァックスが提唱した「集合的記憶」という概念をさらに進めたもの。

本書はインターネット誕生以前までの「文化的記憶」の在り方を「蓄積的記憶」と「機能的記憶」という二つの様態から説明したもの。

 

…と、「用語」を並べ立てても説明にはなっていませんが、簡単に言うと、「記憶」という変化を伴い、再構築され、忘却もされうる不確かな概念の再評価です。

この1冊を要約することは私の手に余るのですが、ともかく、これを読んでから「David Bowie is」展のことを考えなおしてみると、大変面白く、さらにこの本では書かれていない先のことまでが見えてくるのではないか、とそんな予感もしました。

 

 

何万点という自分の「痕跡」を収集し、アーカイヴし続けたBowie、そしてそこから「David Bowie」を再構築すべく、選別して展示したV&A ミュージアム、さらにそれを商業としても成立させた各国の主催者…

この展覧会は確かに「想起」を促すも、そこに「ノスタルジー」はない。

だからといって、そこに置かれたモノは、「現在」生まれたばかりのものではなく、何十年も前に生まれて、色々な評価を経てきたモノ。ある意味「安心」して「鑑賞」できるもの。

「本物」であることがファンにとっては一番感動する点であるはずだけど、一つ一つ証明されているわけではなく、膨大に存在する「そこにはないもの」によって、可変的な展示であることを予感させつつ、時間軸を分解して、どこも同時にアクセス可能にする構成になっている。

 

あの口紅がぬぐわれたティッシュは本物なのだろうか。

ジョン・レノングラム・ロックのことを「口紅を塗ったロックンロール」と言った、というエピソードを知る者にとっては、その口紅が「ぬぐい取られた」痕跡、というのは、単なるその行為をはるかに超える意味を持つものなのだから。

そのティッシュを、そうした意味を含めて保管していたのはBowieなのか、そうした意味を嗅ぎ取り、暗示的に展示したのはV&Aのキュレーターなのか、そしてそういう意味を読み取って、過去をぬぐい去り続け、さらにそれを保管し続けたBowie像を共有する観覧客。私を含む共犯者たちは、こうして一つの記憶を作った。

もちろんこの痕跡には他の解釈も可能だし、なんならそんなティッシュはそもそも存在しなかったのかもしれない。いかにも有りそうなものとして創作されて展示されたのかもしれない。この嘘は、「事実」の説明のための「嘘」かもしれない。

 

 

音楽が現場でしか共有されなかった時代を経て、録音技術が誕生し、音楽は「メディア(媒介)」を通じて所有できるようになり、

さらに今ではもう音楽は「メディア」も必要としないものになりつつある。

ストリーミングで音楽を聴く者にとって、音楽を「所有している」というのは、メディアを持っていることではなく、聞きたい曲の名前を知っている、覚えている、という「記憶」を持っている、ということだ。

そうした時代の変化をBowieのキャリアは覆っている。

今後、過去の音楽はどんな風に再構築されていくのか、「David Bowie Is」展はその一つの先駆的な例になるのかもしれない。

 

 


David Bowie // Never Get Old (Official Music Video)