関東では去年から色んな場所で上映されていたのに、関西はなっかなかだった『ジギー・スターダスト』がようやく京都から公開開始。
しかもミック・ロック写真展会場とぼちぼち近いので、上映前に寄って来ました。
平日夕方。誰もいなくてじっっっくり見られた!
原宿もこないだのトークイベントの時も混雑してたし。
撮影風景の映像もぼんやりと…
たまたまここに泊まってるお客さんはどんな感想なのかなあ。
そして…
私はBowieにハマった当時は、たまたま昔テレビで放映されたものを録画していたこの映画(高見沢俊彦の解説付き)を毎晩ベッドに入りながら見てました。
いっぱい好きなポイントがあるけど、たとえば「Ziggy Stardus」の2番が始まる前に後を向いてたBowieがパッと振り返って「Ah…」っていうとことか超好き。
今回映画館で初めて(おそらく…)見て、ガツンとやられました。
すっげーかっけー。
これはBowieじゃなくてZiggyだなあ〜〜とすっごく納得したというか、
Bowieが「Ziggy」を演ってるなあ〜〜ってやっと解った気がしました。
Bowieはすごく良いZiggy役者だったのだなあ、というか。
いや、よく知らないけど、いま歌舞伎っていろいろ新しい演目やってるみたいだから、
「歌舞伎・屈折する星屑〜自我居・窠侘亜堕鬆斗」
とかやればいいのに。
あ、なぜ「ジギー」を「自我居」にしたかというと、今回字幕が新訳で、その中の「♪Making Love with his ego」って部分が「自分の自我に言い寄り過ぎて」という訳になっていて、ピンときたのでした。
ああ、ジギーっていうのは自我「ジガ」が屈折して伸びて「ジギー」なんだ、と。
ブレルのカバー『My Death』の最後の歌詞「Me」を歌う前にBowieが溜めていたら、観客達が口々に「ME!」と叫んだ様子を、楽屋でおかしそうに話しているBowieの姿もあったけれど、この時のライブにおける「Ziggy」をやってる「Bowie」も、見に来てるお客たちも、なんだか「ME(自我)」が屈折しながら伸びまくっているみたいだなあ、と思った。「ありのまま」じゃない「私」が。
そしてラストの「Rock'n' Roll Suicide」。
「♪Gimme your hands」という部分は、Princeの「Purple Rain」を思い出したりするけれど(そもそもあのアルバム自体がジギーを下敷きにしている、という説はけっこう説得力があると思う)、とにかく「You'are not alone」と繰り返しながら「I'll help you with the pain」と言ってくれる「I」とは誰なのか…
David Bowie – Rock 'n' Roll Suicide, taken from ‘Ziggy Stardust The Motion Picture’
映画を見ながらぼんやり考えて居て、おそらくその「君はひとりじゃない」、「ぼくがいるから」の「ぼく」をZiggyと捉えて、勇気をもらった人は山ほど居たのだろうけれど、じゃあZiggyって誰なんだ?ていう時に、それは屈折しながら伸びた、つまり自己を凌駕した自分なんじゃないかな、と思うと、それは憧れの他者に助けを求める態度よりも、もっとたくましい行為な気がしてきた。
さて、今回劇場で買えたパンフレットには、監督によるこの映画公開までのいきさつが書かれており、これは2002年にデジタル化再上映・ソフト化された時のもののようだけど、なかなかに面白かったです。
最初は30分だけ資料的に撮影するつもりが、熱気に煽られて、全編収録したこと。音と映像を合わせるのが難しくて初公開は1979年になってしまったこと。それからまた色々あって…という話。
一番最初に一番たくさんの人が見られるようになった1984年は世界的には完全にレッツ・ダンスな時期。
みんなどんな気持ちで大スターDavid Bowieが過去に演った「Ziggy」を見たんだろう……