ユリイカボウイ特集、読みました。
ストレートにも、ひねくれつつも、みなさん「My Bowie」を語っていて、それぞれ私が思っていること、ではないことが書かれていて面白い。
私はこの田中純氏の論考で言及されている「late(遅延)」の人だと確認。
なにしろ『The Next Day』すらリアルタイムで聞いてないのだから。
多くの人が語る、「変化」による驚きを実体験・体感したことはなく、変化の羅列を「歴史」として見てきたので。
「子供たち」が、彼に憧れを託した、ということに憧れているので。
でも、これからBowieを聞き始める多くの「子供たち」は、みんな私と同じくBowieのステージや変化を観ることに間に合わなかったのだから、妄想を楽しみながら、自分を紡いでいくしかない。
執筆陣の中では『★』をジャズの側から語ってくれた狭間さん、柳樂さんのが、おそらく遅延軍の我々にとってこそ、素直に楽しめるリアルタイムな内容で、興奮。昔を知らなくて、『★』をBowieという人物の変化だなんて思わずに読めてラッキー!そう、ここで起こっているのは「まだ名前のついていない〈新しい音楽〉」という革新。
田中氏の「晩年様式」は、参照されているサイード(未読)の元になったアドルノのベートーヴェン論(すごく面白い)をちゃんと読み返したい。ただ『★』には「不穏なまでの緊張」はあると思うけれど、「不調和」は私は感じ取らなかったので、この辺りはもっと考えたいけれど、高村氏の「アメリカ」論と共に、うまく「調和」した「文学批評」だった。
そして志摩さんの文章が予想外に好みだった。
「地上ではもうとっくの昔にその願いが叶っていて、知らなかったのはこの星を遠く離れたトム少佐、ただひとり」というくだり。これはまさにカフカの手管だ。
さて。
3/31と4/1にNYで行われたBowie Memorial Concert。
中継では観られなかったけれど、Youtubeで後でちらちら観ていたら、「Blackstar」が一番面白かった。このアルバムの音世界がこれからどんな風に新しい音楽を刺激していくか、その片鱗が見えたような印象。
Bowieが何に影響を受けたか、より、Bowieがどんな影響を与えるかのほうが、私は興味があるんだな〜と確認。
Amanda Palmer & Jherek Bischoff - Blackstar (Feat. Anna Calvi)