Nothing has changed / Everything has changed
出た…
出た!!
出ました!!!
いろんなヴァージョンが出たのですが、私が入手したのはただ1点、3枚組のデラックス・エディションだけです。とりあえず。
手にしたブツ、まずしげしげと眺めました。
3枚組デザインの特徴は3種類のフォントが使われていることです。
① ジャケ(2013年の写真)に使われていた、柔らかいセリフの小文字斜め角度が効いたもの
②90年代の写真とともに使われていた、gとaが特徴的なサンセリフのもの
③70年代の写真とともに使われていた、少しフェミニンな印象でこの3つ中で最も装飾的な感じのもの
あと
④日本版に使われているらしい(未入手)カリグラフィータイプ(「Nothing has」の部分)
⑤LP版に使われているらしい(未入手)スクリプトタイプ(「changed」の部分)
と、あるようです。
アルファベットは26文字しかないが故に、17文字しかない俳句のように簡潔ながら、細やかな角度や太さやアールで時代の空気も色も性質も触感も、すべてが雄弁に物語ります。
フォントは時代を経て装いを変えてきたもの。この50年間でもほんとに豊かに。
ジャケットのカバーでは「changed」の部分だけ違うフォントにしてあるけれど、その意図を説明するのは野暮でしょう。
ソシュールが言語学で提唱した「シニフィアン」と「シニフィエ」という概念があるけれど、シニフィアンが表現としての文字(意味しているもの、表しているもの)で、シニフィエが内容(意味されているもの、表されているもの)と説明されている。
では、フォントは???
文字を記号と見なすならば、どんなフォントでもそれは同じものであるはず。
だけどこの雄弁なフォントの差異はシニフィエにも影響を与えるのか否か…?
3枚組『Nothing has changed』を開くと、そこには「Nothing」と同じように「Everything」という語が繰り返し用いられていることに気付きます。
装い(時代によって流行のあるフォントであり、音質であり…)は変化する。
ニーチェ的に考えると、真理とは決して深層にあるのではない。
むしろそれは表層にあるもの。
何もかも変化したように見えるけれど、何も変化していない。
あるいは、
何もかも変化していないけれど、全て変化している。
この表裏を、これらのデザインに用いられた「フォント」はずばり言い表しているのでは。
もちろんその背景には「鏡像と対峙する自我」という、ボウイ(とくにジギー)的テーマが横たわっているので、さらに話は複雑化するんだけれど…。
そうそう、まだ1年も経っていないのに、窓際に置いてたらブックエンドの形に日焼けしてしまった私の『The Next Day』のジャケットに描かれたこの文字は日焼け前と意味するものが変化した?していない?
変わりながら変わらず、変わらずに変わる。
ch ch ch ch changes....!!!!
『Nothing has changed』のジャケデザイン、素晴らしいです。
で、内容は、いま聞いてる途中でまだ1枚目なんですが、ラジオでのみ聞いていた最新作「Sue(Or In A Season Of Crime)」の正規音源の素晴らしさに感動してから過去へ遡る構成。初めて聞く『Toy』の良音質verにワクワクしつつ(まるでホドロフスキーの幻の映画『Dune』が見られたかのよう)、すでに知っていたはずの音もこの逆行文脈に置かれると新鮮。
「遡る」旅に招かれた身は興奮しっぱなしです。
Sueのビデオもほんと素晴らしいな。
ここでも文字(フォントも重要)が活躍してる。
David Bowie - Sue (Or In A Season Of Crime) - YouTube