bowie note

David Bowieをキーワードにあれこれたどってみるノート。

Niemand gibt uns eine Chance

これまでベルリンへは三度行ったけれど、一度も「Bowie」を意識して訪問したことはなかったので、ここ最近は一番行きたい(いっそ住みたい)街、私的ランキングNo.1。

 

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さてそんなベルリン(西ベルリン)が舞台の映画『クリスチーネ・F』。

主人公がBowieのファンという設定なので、コンサートシーンではBowie本人が出演、映画自体も全編Bowieの曲が使用されている、ということで気になっていたもの。

ようやく見ることができました。

 

『クリスチーネ・F』(1981年・西ドイツ)

原題 "Christiane F. – Wir Kinder vom Bahnhof Zoo"〔我らツォー駅の子どもたち〕

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主人公のクリスチーネ、13歳(劇中で誕生日を迎え14歳に)は最初は普通の可愛い女の子だったけれど、メインストリートであるクーダムの老舗ディスコ「SOUND」(実在)で知り合った友達やボーイフレンドの影響で麻薬に手を出し、徐々に中毒に。ツォー駅(西ベルリンの中央駅)で売春でお金を稼ごうとする。まわりの友人たちがヘロイン中毒で命を落としていく中、かろうじて命をとりとめるまでの物語。

 

映画は夜のベルリンの車窓シーンから始まる。ここに流れる「V-2 Schneider」(一瞬、あれ?Kraftwerkか?と思ってしまった)をはじめ、使われている曲はBowieのベルリン時代のものが多い。

ライブシーンで歌われる「Station to Station」は、いわばBowieの〈ヨーロッパへの帰還〉の歌。

 


David Bowie // 'Station to Station' Scene in ...

 

(Bowieの真面目な横顔での登場シーン、ちょっと吹いた…笑 笑ってしまうほどカッコイイということで…

 

映画を見ていて気になったのは、若者たちの服装や音楽。

革のライダースジャケットを着て、パンクっぽい(あるいは60年代のロッカーズぽい?)かと思いきや、ズボンの裾が広がっていて70年代ぽい(パンクっぽくない)。

時代設定にかかせないであろう音楽は、DiscoでかかっているのもBowieのみ…。

映画は1981年の公開だけど、81年のベルリンってこんなか??と。

で、色々調べてみました。

 

原作はChrstiane Felscherinow(1962〜)という15歳の女の子が自分の体験を語ったもの、をまとめたもの。1978年に出版。

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彼女は12歳(1974年)でドラッグに手を出し、14歳でヘロイン中毒に。

つまり映画になっているのは1975〜77年の期間のこと。

まさにBowieがベルリンで過ごしていた時!

なので、一応、実際のBowie史とも符合するようで、劇中のコンサートは、1976年4月10日にドイツ・ホール(Deutschlandhalle)で行われたもの、とのこと。

 *このDeutschlandhalleは1936年のオリンピックのためにヒトラーが建てたもので、第二次大戦で破壊されたものの、戦後再建。しかしBowieがコンサートをおこなった建物は2011年に壊された様子…

 

Christianeがはじめてヘロインを試したのは、映画の通り、このBowieのコンサートの時だったらしく、薬から抜け出すためにベルリンへ着たはずのBowieとの邂逅が彼女が身を持ち崩していくタイミングになってしまった、というのはとても皮肉…。

 

しかし面白いのはここからで、このChristiana Fを演じた女の子もかわいかったけれど、実際のChristiana Fもとてもかわいくて、ヘロイン中毒から生還した後、ミュージシャンになってレコードを出していたのが判明。

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しかもインダストリアル、ノイズ、そしてDeutsche Neue Welleの!!

1980年、あのEinstürzende Neubautenライブへ行ったChiristianaは、メンバーのAlexander Hacke(1965〜)と知り合い、恋に落ち、二人で「Sentimentale Jugend(英語で言うとsentimental youth)」というグループを結成!

 


Sentimentale Jugend - Tu Mir Weh - YouTube

 

1981年9月4日にはベルリンのTempodromで開催された「Festival Genialer Dilletanten

に出演。(そのときのライブの様子→)このイベントにはノイバウテンの他にもThrobbing Gristle、Die Tödiche Dorisなどなどが出演。(まるで楠本まきの世界…)

 

その後、ソロデビュー。

Christiana "Final Church"(1982)

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Christiane F - Wunderbar - YouTube

かっこいい…欲しいっす…。

 

と、Christiane自身の1982年の音を聞いて、ようやく映画でちょっと違和感のあったファッションが1976年のBowieから1982年のNew Waveの音で繋がって、腑に落ちたのでした。

 

さて、Christianeは昨年、2013年に自伝『Christiane F: Mein zweites Leben(クリスチーネ・F:私の第二の人生)』を出版。

しかし今年になって表舞台からの「引退」を表明しているそう…

こちらに日本語で詳しい記事が→ あの「クリスチーネF」が、今も生きていることを知った

 

 

参照)中村実生「ノイエ・ドイチェ・ヴェレ」その1(PDF) その2(PDF)

 

おまけ)おそらく一番売れたドイツ語の歌、Nenaの「ロックバルーンは99(99 Luftballon)」は、実はNenaがChristianeと一緒に1983年にこの映画のプロモーションで一緒にアメリカをまわったおかげで大ヒットになった、とのこと。

 

さらに個人的に驚いたのはChrisitaneの相方だったノイバウテンのAlexa Hacke!

彼は最近映画音楽も手がけており、私の好きなドイツのトルコ系映画監督、Fatin Akinの映画、『愛より強く(Gegen die Wand)』の音楽を担当した縁で、トルコの様々なミュージシャンと彼が競演する、という音楽ドキュメンタリー『クロッシング・ザ・ブリッジ』にも出演していた。これはすごくイイ映画。


Crossing The Bridge: Sound Of Istanbul (2005 ...

 

 

というわけで、ベルリンのBowieから始まってイスタンブールにたどり着いてしまいました。