1977年 Part2.
最近はパンク、The Clash、Joe Strummerばかり聞いています。
私の90年代&ゼロ年代はポストパンク・リヴァイヴァルの煽りを相当受けていたので、パンクのことは「そういうものがあったらしい」、でも「その後の方が面白い」と思いこんでおりました。
ま、面白いんだけど。
で、Bowieにはまった後、今年になってから読んだ『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984』はすごく面白かった。
- 作者: サイモン・レイノルズ,野中モモ,新井崇嗣
- 出版社/メーカー: シンコーミュージック・エンタテイメント
- 発売日: 2010/05/12
- メディア: 単行本
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この本については野田努の当時のコラムでも取り上げられていた。
#6:質問は答えよりも重要――『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984 』を読んで - ele-king Powerd by DOMMUNE | エレキング
表紙のジョン・ライドンがピストルズからP.I.L.へと、つまりパンクからポスト・パンクへと繋げてくれるキー・パーソンだけど、この本にはBowieの名前も頻出。パンクが過去をぶっ壊そうとしている時に、Bowieがイアン・カーティスや多くのポスト・パンクと呼ばれるミュージシャンに影響を与えたという文脈で。そしてポストパンク的方法は、すでに70年代初めにグラムロックが先行していた、というのがレイノルズの見方。
「現実逃避と表層性を排除しようともがいた結果、ポストパンクは苦行のようなプロパガンダ(ザ・ポップ・グループ)または、実存主義の底なし沼(ジョイ・ディヴィジョン)のいずれかに陥り、そこで行き詰まっていた。それゆえ、ポップの復権によって音楽ジャーナリストたちは、罪悪感という絶望という二重の重荷を下ろしてもいいんだとの安堵感に驚喜する。(…)この"ロック"から"ポップ"的感性へのジェンダーを暗示させる移行は、多くの点でグラム時代を彷彿させるものだった。70年代初頭、デヴィッド・ボウイとロキシー・ミュージックはシングル中心のダンス・ポップとアルバム中心のアート・ロックの間の広がる一方だった溝を縮めることに成功した。彼らは「シリアス」でありながら遊び心のある、イメージ/ヴィジュアル面を大切にする音楽を作り上げた。(…)グラムは事実、ポストモダンという言葉が学究的世界の外で使われる前から、ポストモダニストだった。」
(『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984』サイモン・レイノルズ著、野中モモ監訳/翻訳、新井崇嗣翻訳、シンコーミュジック・エンタテイメント、2010年、247頁)
なるほどー。
ではではその間にある「パンク」って…??という疑問。
前に1977年の話をパンクを無視して書いたのですが(1977年 Part 1. - bowie note)
パンクを含めた時系列でいくとおおよそこんな感じ…
1976年
David Bowie、ベルリンへ移住
1977年
1/4 David Bowie『Low』発売
2/8 The Damned『Damned Damned Damned(地獄に落ちた野郎ども)』発売
3/9 Iggy Pop『The Idiot』発売
5/27 Sex Pistols「God Save The Queen」発売
7月 NYでのDevoのライブでBowieが前説。
8/16 Elvis Presley 死去
8/29 Iggy Pop『Lust For Life』発売
9/16 Marc Bolan 死去
10/14 David Bowie『Heroes』発売
10/27 Sex Pistols『Never MInd The Bollorocks, Here's the Sex Pistols』発売
11/4 Buzzcocks「Orgasm Addict」発売
と、こんな時系列で世にでてたのか…と思いながら改めて聞くと、Bowieのベルリン3部作って古いんだか新しいんだか時代にあってたんだか超越してたんだか。
David Bowie - The Secret Life Of Arabia - YouTube
シド・ヴィシャスはBowieファンだったらしい。