LAZARUS, THE MAN WHO FELL TO EARTH
今年のBOWIE WEEK(1/8と10がある週)は、映画を見に行きました。
1/9はZEPP NAMBAまで絶響上映の『ジギースターダスト』。
これ、もう寺尾さんの新訳で映画館で見るの、3度目?4度目?なのだけれど、やはりとても面白い。知ってるつもりになってる歌詞にも的確な日本語訳が流れてくるのは、もう本当に「字幕」の凄さを越えて、翻訳の凄さを噛みしめざるを得ない。
音と映像に「意味」の同時性、重要。
まだ寺尾さん字幕のついたVer.はソフト化されてないので、またこれが上映されたら、絶対また行きます。
翌1/10は出町座で『地球に落ちて来た男』。
これも何度目だろう…配給が今休止中の京都みなみ会館だけど、そろそろ期限が来るらしいけれど、たぶんまたやってくれるなら、また行く。
いずれも今回とても新鮮に見られて、今までどんだけボーーっと見てたのか?私?と腹が立つほど。
というわけで、ついに『LAZARUS』を読もうと決意。
買ったはいいけれど、英語だし、それよりも戯曲ってのがひっかかって全然読めてなかった。
しかし前書きはともかく、本編始まってすぐ戸惑う。
MICHAELって誰??
これはもしかして原作読んでないとダメなのか?
ということで、こちらもまた積ん読だった原作を読みました。
訳がとても読みやすくて、面白く読めたのだけど、結局MICHAELは出てこなかった…
メリー・ルーが名前も年齢も違う設定だったとは!!
あとあのX線を目に当てるシーン、映画ではコンタクトが張り付いてしまうだけだったのが、原作ではほぼ失明してしまってて衝撃。
でも基本的には原作を大事にしている映画だったことが判明。
語り手が章ごとに変化するので、いろいろな登場人物の内面も描かれる。
地球に落ちてきた男の孤独さは、特殊で共感できないものではない。
昨夏、生まれた甥が、当初、この星の重力にも慣れず、昼と夜があることにもまだ気づかず、周囲の様子をどれくらい分かっているのか、不自由さが凄くて、一体どこの星からお越しになりました?と思っていたのが半年たって、だんだん我々に似てきている。
私もきっと最初は宇宙人だったのが、こうしてここに馴染み過ぎてしまっただけなんだと思う。最初はどんな使命を持っていたのか、もう忘れてしまった。
Bowieがなぜ『ラザルス』という続編を作ったのか。
自分の一番の「イメージ像」になったニュートンの救済は、DAVID BOWIEの救済だったのか…
と、最初の目的に立ち戻って『ラザルス』を読もうとしているのだけど、ミュージカルゆえ、歌詞がたくさん出てきて、この文脈にちゃんと合わせて歌詞を捉え直さないといけないのかとなると易々とは読めず…。
むしろこれはBOWIEが自分の楽曲を録音物という絶対性から解放して残すための試みだったのかな、とも思えてきた。観客はきっと自分が「知ってる曲」が俳優たちによって歌われるとき、自分も歌いたくなるだろうし、「曲」は新たな文脈に置き換えられるだろう。
と、ここは難航していますが、1年以上前にTaschenからでていた写真集をようやく購入。
さすがTaschen!
このボリュームで2000円ちょっととは素晴らしい。
かわいい写真も多かった。