bowie note

David Bowieをキーワードにあれこれたどってみるノート。

Shining 80s

Bowie Box第三弾の日本盤がまた発売延期、というか発売日未定、に変更になり、注文していたタワレコオンラインからは「いったんキャンセルします」と連絡があり、いつになるやら〜〜〜〜

って感じですが、実は最近はこのベルリン期よりも80年代ボウイがツボなので、来年も箱出してくれるなら、むしろそっちが楽しみ!になってきてます。

先日、京都木屋町にある元「立誠小学校」が改築されるということで、大きなレコード市があり、そこでゲットしたものが総じて80sBOWIEだったことも原因。

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80年代の音源こそ、最初のCD化がテキトーなのか、アナログで聞いたときの「こんなに良かったのか!」という発見がでかい。

さらに80年代を最初から最後まで完全に幸せな子供として過ごしたので、90年代になっても延々と「80年代はよかったなあ…」と思い続けていた私に、80年代がダサかったことはなく、ひたすらキラキラに見えて、たまらない…

(正直『Tonight』は好きな曲がないのだけど)、『Never Let Me Down』は最初から好き。とくに「Shining Star(Makin' My Love)」が好き。一聴した時から、妙な「私に近しい臭い」を嗅ぎ取っていた。

これは実はミッキー・ロークが途中、「ラップ」で参加しているというびっくり曲。

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Shining Star (Makin' My Love) - Never Let Me Down [1987] - David Bowie

 

こちらはライブリハーサル風景(13:30頃〜)

https://youtu.be/vu6Rniknoys

 

 

で、この曲は、「実は」が続くのですが、「実は」プリンスを意識して書かれたものだったよう。ちなみにこのアルバムに収録の「Zeroes」という曲の歌詞には「Little Red Corvette」も出てくる。

 

しかし影響は一方的なではない。

かの『Purple Rain』はおそらくジギー・スターダストをその構想のヒントに持っていた。

参考:

strongerthanparadise.blog.fc2.com

 

 

さらにとくにこの1987年、彼等はライバルでもあった。

Bowieは「Glass Spiderツアー」のダンサーとして"Cat"を所望していたけれど、彼女はまったく同時期におこなわれたPrinceの「Sign 'O' The Time」ツアーの方へ参加。

参考:

strongerthanparadise.blog.fc2.com

 

 

ということに思いを馳せたのは、昨日たまたまマイラブ岡村靖幸の1987年7月21日発売のシングル「Dog Days」が「Shining Star(Making' Love)」(1987年4月18日発売のアルバム『Never Let Me Down』に収録)に似てる!!と気付いたことがきっかけ。

この二つの曲が直接似ているんじゃなくて、そう、「PRINCE」で繋がっていることは言わずもがな。

 

 


岡村靖幸 eZ 8ミリショット挟みのDog Days

 

 

 

 

 

RAW POWER

3度目の正直、ならぬ正伝寺。

ついに月見に行って参りました!

1回目2回目

 

夕焼けで赤い空にぽっかり白い月。

まだ比叡山の近くです。

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縁側に座ってみる。

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だんだん昇っていく。

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飛行機雲が横切る。

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David Bowie – Crystal Japan – Promo - 1980

 

たくさんのカメラを持ったお客が来ており、私も撮ってみたものの…

私の腕ではあの明るさは全然捕らえられなかったので、諦めてシャーペンでノートにスケッチ。

ちゃんと色鉛筆持ち歩いてればよかった。相棒。

 

 

素敵な月見の前週は、ようやくジャームッシュの新作2本を見ました。

『パターソン』のことは思い出しては胸がいっぱいになるってのがまだ続いてる。

ユリイカジャームッシュ特集も前半はなかなかで、かなり涙ぐんで読んだ(後半はそうでもなかった)。

 

そしてイギー。

なんてチャーミングなイギー。

なんて素晴らしいThe Stooges!!

たくさんの名言が飛び出した。

作詞のルールも驚いたし、オトナ(ビジネス)や大人(アート)に目を付けられてもヌルリ!ジャンプ!と飛んで逃げるイギー。

The Stoogesはどのアルバムも大好きだ。

本作はThe Stoogesの映画なので、その時代のBowieは「おとな」仲間に見えた。

 


Jim Jarmusch & Iggy Pop | 'Gimme Danger' Q&A

Revolutionary

Bowieがコーラスだけを務める変な歌、『革命の歌』。


David Bowie - The Rebels The Revolutionary Song.

 

この歌が流れる『ジャスト・ア・ジゴロ』の監督が、『欲望』の俳優さんだって、知らんかったんですけど!!

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『ジャスト・ア・ジゴロ』を初めて見たのはBowieが亡くなってからで、最初の感想は「内容がないよう〜」。

→ 

とにかく主人公の空っぽさが不思議、というか不可解な印象だったのですが、先日、ドイツ文学者の小岸昭による『欲望する映像〜ドイツ的なるものと畸型児たちをめぐって』(駸々堂出版、1985年)という本の「ジゴロ」という章でこの映画が取り上げられていることを知り、読んでみました。

 

先に結論。

映画より面白かった。

 私が違和感を感じたこの映画のBowieを「人々に恐怖や不安を呼び起こす畸型者」(P7)の列に連ねた解釈は、この悪評高き映画の再評価に十分過ぎるほど。「突然変異による先天的畸型者とは異なり、ドイツのある社会的状況のもとで正常からの身体的、精神的な逸脱を強いられた者たち」(P8)の「他所者(よそもの)」性。

 第一次世界大戦から100年。ドイツの「戦間期」というのは多くの作品の舞台になっているのだけれど、小岸論ではまず、トーマス・マンの『魔の山』と比較して、主人公パウルが「過去の経験の結実を現在の知的な資本として活用する人間の能力」(P55)を持っていない人物として絵描かれた「時間喪失物語」としてこの映画を論じていく。時間を喪失したパウルにおいては「通過儀礼」が放棄されており、それがパロディーとして働いていることが指摘される。人間的内実が感じられない、当然成長もない、という私の初見の感想は、こうして捉え直すと確かに逆に面白い点だ。

 なるほど、と唸ったのは、ホルスト・ヴェッセルとの比較。ナチスの党歌である「ホルスト・ヴェッセルの歌 (Die Fahne hoch!)」の人物。ゲッベルスに魅せられてSAに入ったHorst Wesselは、痴情のもつれにより射殺されたが、ゲッベルスによって共産党員に殺されたナチス党員、という大義に仕立てあげられ、大々的な党葬によって「英雄」にされた。

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 これまで当然過ぎて忘れていたけれど、「Hero(英雄)」というのは、一人で勝手になるものではなく、物語・歴史において「人々」に祭りあげられることで成立するものであり、その前提を踏まえた上での、「♪ We can be heroes, just one day」なのだ。

 映画は、塹壕で傷を負ってフランスの病院で目覚めたパウルが、フランスの「英雄」と勘違いされている、というエピソードから始まり、「英雄」という言葉が皮肉に何度も繰り返される。敗戦国においては当然のことなのだけれど。ナポレオンの例を出しながら、英雄は女性で身を滅ぼすということを訴える右派の革命家たち。そこに心は投じながらも身は女に投じるパウルの非英雄的人生は偶然に終わり、必然的に革命的な人々によって「英雄の死」として利用される。

 小岸氏が指摘するように、この映画は「冬」のシーンしか出て来ない。「主人公が春の中へ前進すること」も「交代すること」も阻んでいるような雪がいつも足下にある(P92)。そんな冬のベルリンに蠢くのは、「顔」をもたない群衆(P94)。そんな中で最も重要な「顔」であるパウルを演じるボウイに、小岸氏は「黙劇役者」の顔を見出す。それも、自分に降りかかる危険や恐怖に気付いていないあの顔、つまりバスター・キートンのそれ。本人はいたって本気で真剣なのに、客観的に見ると、滑稽で仕方ないあの無表情。当然Bowieは意識していたに違いない。この演技がこの映画において効果的なものとして成功しているのかどうか…。残念ながらこれは中途半端な結果に終わっていると言わざるを得ないのかもしれない。ただし『Heroes』を出した年にこの映画の撮影が始まっていたことは、我々にとっては面白い重なり。

 ともかく『Baal』共々、再上映、ソフト化を希望。

 

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Bolan☆ミ

B & B

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今日、9月16日はMarc Bolanの40回目の命日だそうで、もうすぐ、9月30日は70回目の誕生日なのだそうで、祭りしてます。

最後のアルバム、ちゃんと聞いてなかったので、ネットで聞いてるけど、良いなあ、これ…と注文したり。祭り。


T. Rex - Dandy In The Underworld (Full Album) 1977

 

初期のスカスカしたTyranosaurus Rexのほうが好きと思ってたけど、後期のディスコ系も良いんすね!

 

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ふふふ…

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ばーん。

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Bolanの葬式のBowieは、見てはいけないBowieを見てしまった感じであまりに辛い写真。

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私にとってはレノンやフレディと同様に、存在を知った時にはとっくに死んでた人なのですが、マーク兄さん、あなたは40年経ってもそんなリスナーのハートをキラキラの音でまいらせてますぜ☆


T.REX - METAL GURU(STUDIO LIVE)

 


David Bowie's lost 1973 Top of the Pops performance of The Jean Genie

Guiding Star with NO PLAN

嗚呼、ついに8月は何も書けずに終わってました。

夏が終わってました。

私、夏の間自分の仕事全然できなかったわ〜人の手伝いとかばっかりで…って友に言ったら、仕事ってそういうもんなんちゃう?

そうかも。

 

私の人生においても格別にキャラの濃い登場人物たちに振り回され、そして彼等が去って行ったら、Where Am I Now?って気分だけが残ったわけです。

Bowieのあの曲、なんで「We」なんだろ。

でも私の嫌いな「We」じゃない。(オレをお前と一緒にすんな!って感じのweの歌が嫌いです)

2人称みたいなWeに思える。つまり私(You)と歌い手と。

 

ともかく。

音楽聞かず、友とも遊ばずに過ごした夏。

この週末ようやく時間が持てて、音楽を友と存分に味わったら、自分がどこにいるのか、だいぶ見えてきた。

ホント最近秋らしく空気が澄んでるからよく見えるんだ。

音楽は友達みたいなもんで、友達は音楽みたいなもんで、

なくても生存可能だけど、だからこそ、なくちゃ生存不可能で。

 

久しぶりに聞くBowieの声はホッとした。

私はBowieのことを考えているときは、とても気持ちが良い。

 

 

ほんとは「ジャスト・ア・ジゴロ」のことなんて書こうと思って用意していたけど、まだ全然。

最近私が為し得たBowie活動は一つだけじゃないかな。

5月に、今年好きになった新喜劇のアキ(水玉れっぷう隊)に、「No Plan」のTシャツをプレゼントしたのだけど、それを先日着ている写真をTwitterにあげてくれていたこと。

嬉しい!!!!!!!!!!

アキがよく私服で★(ブラックスター)柄のものを身につけているので、これはBowieと関連させたいなあ…と思っていたところ、『No Plan』のジャケットになった「Guiding Star」のTシャツがええんじゃなかろうか、と「David Bowie is」会期後半に訪れた友人に頼んで、買って来てもらい、ある公演の後、手渡しました。 ちゃんと導く星の意味をしたためて。

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あの日から数ヶ月。

普段の服は相変わらず白いTシャツが多く、やっぱり黒は着ないのかな〜〜って思っていたところ、今月のアキ座長公演の練習風景で着用してくれているのを発見!!

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わお!!!自分がリーダーになる特別な時に着てくれてる!

私のメッセージは伝わってた!!

と大変嬉しかったのでした。

 

 


David Bowie - No Plan

 

Erinnerungsräume

アライダ・アスマン著『想起の空間〜文化的記憶の形態と変遷』を読みました。

 

想起の空間―文化的記憶の形態と変遷

想起の空間―文化的記憶の形態と変遷

 

 *注:リンクはamazonに貼りましたが、水声社の本はamazonでは基本買えません。

 

英独文学、文化史学のアライダ・アスマンが、夫のヤン・アスマンとともに、1980年代末に提唱した「文化的記憶」というコンセプトは、そもそもは1920年代に社会学者のアルヴァックスが提唱した「集合的記憶」という概念をさらに進めたもの。

本書はインターネット誕生以前までの「文化的記憶」の在り方を「蓄積的記憶」と「機能的記憶」という二つの様態から説明したもの。

 

…と、「用語」を並べ立てても説明にはなっていませんが、簡単に言うと、「記憶」という変化を伴い、再構築され、忘却もされうる不確かな概念の再評価です。

この1冊を要約することは私の手に余るのですが、ともかく、これを読んでから「David Bowie is」展のことを考えなおしてみると、大変面白く、さらにこの本では書かれていない先のことまでが見えてくるのではないか、とそんな予感もしました。

 

 

何万点という自分の「痕跡」を収集し、アーカイヴし続けたBowie、そしてそこから「David Bowie」を再構築すべく、選別して展示したV&A ミュージアム、さらにそれを商業としても成立させた各国の主催者…

この展覧会は確かに「想起」を促すも、そこに「ノスタルジー」はない。

だからといって、そこに置かれたモノは、「現在」生まれたばかりのものではなく、何十年も前に生まれて、色々な評価を経てきたモノ。ある意味「安心」して「鑑賞」できるもの。

「本物」であることがファンにとっては一番感動する点であるはずだけど、一つ一つ証明されているわけではなく、膨大に存在する「そこにはないもの」によって、可変的な展示であることを予感させつつ、時間軸を分解して、どこも同時にアクセス可能にする構成になっている。

 

あの口紅がぬぐわれたティッシュは本物なのだろうか。

ジョン・レノングラム・ロックのことを「口紅を塗ったロックンロール」と言った、というエピソードを知る者にとっては、その口紅が「ぬぐい取られた」痕跡、というのは、単なるその行為をはるかに超える意味を持つものなのだから。

そのティッシュを、そうした意味を含めて保管していたのはBowieなのか、そうした意味を嗅ぎ取り、暗示的に展示したのはV&Aのキュレーターなのか、そしてそういう意味を読み取って、過去をぬぐい去り続け、さらにそれを保管し続けたBowie像を共有する観覧客。私を含む共犯者たちは、こうして一つの記憶を作った。

もちろんこの痕跡には他の解釈も可能だし、なんならそんなティッシュはそもそも存在しなかったのかもしれない。いかにも有りそうなものとして創作されて展示されたのかもしれない。この嘘は、「事実」の説明のための「嘘」かもしれない。

 

 

音楽が現場でしか共有されなかった時代を経て、録音技術が誕生し、音楽は「メディア(媒介)」を通じて所有できるようになり、

さらに今ではもう音楽は「メディア」も必要としないものになりつつある。

ストリーミングで音楽を聴く者にとって、音楽を「所有している」というのは、メディアを持っていることではなく、聞きたい曲の名前を知っている、覚えている、という「記憶」を持っている、ということだ。

そうした時代の変化をBowieのキャリアは覆っている。

今後、過去の音楽はどんな風に再構築されていくのか、「David Bowie Is」展はその一つの先駆的な例になるのかもしれない。

 

 


David Bowie // Never Get Old (Official Music Video)

 

 

ZIGGAY

関東では去年から色んな場所で上映されていたのに、関西はなっかなかだった『ジギー・スターダスト』がようやく京都から公開開始。

 

しかもミック・ロック写真展会場とぼちぼち近いので、上映前に寄って来ました。

平日夕方。誰もいなくてじっっっくり見られた!

原宿もこないだのトークイベントの時も混雑してたし。

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撮影風景の映像もぼんやりと…

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たまたまここに泊まってるお客さんはどんな感想なのかなあ。

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そして…


デヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』予告編

 

私はBowieにハマった当時は、たまたま昔テレビで放映されたものを録画していたこの映画(高見沢俊彦の解説付き)を毎晩ベッドに入りながら見てました。

いっぱい好きなポイントがあるけど、たとえば「Ziggy Stardus」の2番が始まる前に後を向いてたBowieがパッと振り返って「Ah…」っていうとことか超好き。

 

今回映画館で初めて(おそらく…)見て、ガツンとやられました。

すっげーかっけー。

これはBowieじゃなくてZiggyだなあ〜〜とすっごく納得したというか、

Bowieが「Ziggy」を演ってるなあ〜〜ってやっと解った気がしました。

Bowieはすごく良いZiggy役者だったのだなあ、というか。

いや、よく知らないけど、いま歌舞伎っていろいろ新しい演目やってるみたいだから、

歌舞伎・屈折する星屑〜自我居・窠侘亜堕鬆斗

とかやればいいのに。

あ、なぜ「ジギー」を「自我居」にしたかというと、今回字幕が新訳で、その中の「♪Making Love with his ego」って部分が「自分の自我に言い寄り過ぎて」という訳になっていて、ピンときたのでした。

ああ、ジギーっていうのは自我「ジガ」が屈折して伸びて「ジギー」なんだ、と。

ブレルのカバー『My Death』の最後の歌詞「Me」を歌う前にBowieが溜めていたら、観客達が口々に「ME!」と叫んだ様子を、楽屋でおかしそうに話しているBowieの姿もあったけれど、この時のライブにおける「Ziggy」をやってる「Bowie」も、見に来てるお客たちも、なんだか「ME(自我)」が屈折しながら伸びまくっているみたいだなあ、と思った。「ありのまま」じゃない「私」が。

 

 

そしてラストの「Rock'n' Roll Suicide」。

「♪Gimme your hands」という部分は、Princeの「Purple Rain」を思い出したりするけれど(そもそもあのアルバム自体がジギーを下敷きにしている、という説はけっこう説得力があると思う)、とにかく「You'are not alone」と繰り返しながら「I'll help you with the pain」と言ってくれる「I」とは誰なのか…


David Bowie – Rock 'n' Roll Suicide, taken from ‘Ziggy Stardust The Motion Picture’

 

映画を見ながらぼんやり考えて居て、おそらくその「君はひとりじゃない」、「ぼくがいるから」の「ぼく」をZiggyと捉えて、勇気をもらった人は山ほど居たのだろうけれど、じゃあZiggyって誰なんだ?ていう時に、それは屈折しながら伸びた、つまり自己を凌駕した自分なんじゃないかな、と思うと、それは憧れの他者に助けを求める態度よりも、もっとたくましい行為な気がしてきた。

 

さて、今回劇場で買えたパンフレットには、監督によるこの映画公開までのいきさつが書かれており、これは2002年にデジタル化再上映・ソフト化された時のもののようだけど、なかなかに面白かったです。

最初は30分だけ資料的に撮影するつもりが、熱気に煽られて、全編収録したこと。音と映像を合わせるのが難しくて初公開は1979年になってしまったこと。それからまた色々あって…という話。

一番最初に一番たくさんの人が見られるようになった1984年は世界的には完全にレッツ・ダンスな時期。

みんなどんな気持ちで大スターDavid Bowieが過去に演った「Ziggy」を見たんだろう……