WRECKA STOW DAY
0422のレコード・ストア・デイ、去年はたまたま入ったレコード屋で開催中だったものの、イベントには興味のない客として全然別モノ買ったりしてましたが、今年はBOWIEファン的には「これは!」という関連ものが3つも。
(Princeも出たけど、12inc.の再発ばかりだったので、まあ、という感じで)
開催を謳っている店に開店直後くらいに行ってみたのですが、入店までに30分ほど並ばされ、けっきょくBowieは入荷があったのかなかったのか、よく分からぬまま手ぶら退散。どうも激戦だった様子。
ライブ版の『Cracked Actor』はちゃんとリマスターもしたようなので、近々CDリリースもあることを期待。
という祭りの裏で普通に出たのが、『NO PLAN』の12inc.
『LAZARUS』のCDも『NO PLAN』としてのCDも買ってたので、もうスルーしようかと思っていたのですが、その美しさを称える声に負けて注文してしまいました。
確かに!きれい!!!
マーブル模様が1つ1つ違う、というのも嬉しい。
なんか再生すると「きゅるきゅるきゅる…」って妙な音がしたけども。
良い色だな〜というのにうながされて、最近よく作っているプラバンでこの「Guiding Star」を作ってみました。
着色は色鉛筆。
レジンのせてからピアスにでもします。
というPrince熱高めのBowie DIY日和なのですが、きのうはPrince本を上梓されたばかりの丸屋九兵衛「先輩」が京都凱旋トークイベントをする、ということで、ドキドキしながら行って来ました。
丸屋さんと言えば、前にここで名前を出したときは、「誰?」「ああ!」とか思いながら書いてたんですが、あれから意識して見聞きしたり、色々読むようになり、今回も「音楽と映画に見るレイシズム」というテーマだったので、きっと話題に出るであろう『ズートピア』『ストレイト・アウタ・コンプトン』をちゃんと直前に見て(『ムーンライト』はそうでなくとも映画館で2度見たところ)から臨み、大変面白く拝聴したのでした。K-Popの話が興味深かった。私自身はまだまったくK-popに暗いけれど、はまってる人、周りに多いので。
ただ、サインを頂ける、と言うことで「せっかくだし」と並んでみたけれど、超〜緊張。
ここ数年で一番緊張。
新喜劇のアキと写真撮ってもらったのの100倍緊張しました…(あまりに私の顔もポーズも緊張して強ばってるので全体的に割愛)
さて、丸屋さんと言えば今年の頭にWOWOWぷらすとのBOWIE特集に出ておりました。
これの1:08〜くらいから「FAME」(1975)のリズムをそのままParliamentの「Give Up The Funk」(1976)に取り入れた、という話が出て来ます。これが彼等の最大のヒット曲。
Parliament Funkadelic - Give Up The Funk - Mothership Connection Houston 1976
同じアルバムの1曲目、「P. Funk (Wants To Get Funked Up)」に「David Bowie」という歌詞が出てくるのはストレートにBowieへの感謝だろう、というお話。
これは確かにこの曲聞いてるときに「あれ?いまDavid Bowieって言わなかったっけ?」と気にしていた曲なので、腑に落ちましたです。
PARLIAMENT - P Funk (Wants to Get Funked Up)1975
ほんと「David Bowie」っていう歌詞ってだけでめっちゃくちゃカッコイイと思うけど、それをやってるのがKraftwerkとParliamentっていうのも更にかっこいい。
ところでイベントの中で話題の中心になったのが、「アメリカ映画」の日本公開時(あるいはディスク化の時)の字幕問題。
なかでも、アメリカ黒人の名前は「発音」に綴りが忠実にしてあるものがあって、という話が面白く、『Moonlight』の主人公Chironは決してシャロン(Sharon)ではなく、「シャイロン」と訳すべきだったとのこと。
やっと映画『Under The Cherry Moon』の中で、Princeが白人ヒロインに「Wrecka Stow」を発音させて笑うシーンの意味が分かったような。
彼女の方は字面にとらわれてて、何を意味しているのか、何故笑われてるのか、分からなくてぷんぷんするところ。卑猥な言葉なのかと想像してた。
WRECKA STOW DAY☆
LIFE IS JUST A PARTY
Prince様
How R U?
受け入れがたきニュースの後、1年経って、泣いたこともあるけど、それは悲しいとかじゃなくてあなたの音楽とパフォーマンスの素晴らしさに圧倒された時でした。
人生はパーティーみたいに終わりと始まりがあるけれど、大事なのは集まって楽しむことなのかな、パーティーみたいに。
とか思う今日。
あなたの音楽を聞くと元気でます。
ありがとう。
Choose LIFE
20年一昔。
10年前のものはダサイけど、20年前のものはかっこいい。
1996年に公開された映画『Trainspotting』(原作は1993年刊行)の中で、イギー・ポップファンの主人公達は、女の子たちには「そのジギー・ポップとかいう人はまだ生きているのか?」と聞かれるけれど、この時点からほぼ20年前、1977年の曲がこの映画を貫く「Lust For Life」。この曲がなければ『Trainspotting』じゃない。
Trainspotting | 'Lust for Life' (HD) - Ewan McGregor, Jonny Lee Miller | MIRAMAX
そして現在公開中の映画、『T2 Trainspotting』。20年後を20年後に同じキャスト・監督で続編とする、という、まさかの試み。
T2: TRAINSPOTTING 2 Trailer (2017) Danny Boyle Movie
おいおい、なんでこんな辛い続編作ってん!!とつっこみつつも、ニヤリとさせられるシーンもそっと挟まってくる。
20年ぶりに自室に帰ったレントンは、「あの曲」を聞こう、とレコード棚を漁る。
2枚のDavid BowieのLPが見えたあと、ターンテーブルに載せられたレコードは最初の音が聞こえた瞬間、針があげられてしまう。
ああ、寸止め。
でも、あの曲だ。
96年の映画ではたくさんのキャッチーな音楽が流れていたし、クラビングをするシーンもあったけれど、レコードで音楽を聴くような場面、あったかな…と不思議になった。
96年でレコード聴くって、だいぶ音楽マニアの行為。普通はもうCDでしょう。
原作を持っていたのでページをくると、予想外にたくさん出てくる音楽についての言及が。どうも原作の舞台は80年代後半?
中にはこんなことも。
「ボウイのアルバムは全部持っている。死ぬほど持っている。海賊版だって山ほどある。だが、ボウイの音楽なんか、いまはどうでもいい。」(アーヴィン・ウェルシュ著、池田真紀子訳『トレインスポッティング』21頁)
うん、おそらくその頃のリアルタイムボウイは「どうでもいい」って思われてたんでしょう。
それはそうと、この原作者以上にガッツリBowieファンだったのが、監督のダニー・ボイル。
本当は映画のサントラには是非ボウイを使いたかったらしいけれど、許可が下りず、Iggy(Bowieと共作)の「Lust For Life」にしたらしいけれど、ほんとそうして良かったよ。あの曲使ってなかったらあんなにヒットしなかったはず。
映画『ベルベット・ゴールドマイン』でもボウイの楽曲使用の許可は下りなかったものの、Lou Reed(プロデュースはBowie)の「Satelite Love」は使われてて、Bowieのコーラスもばっちり聞こえている、という微妙なことが起こっていたのを思い出したけど、代わりに冒頭を飾ったBrian EnoがバッチリハマッテたのでBowieでなくて正解だったんじゃないかしらん。
ダニー・ボイルはBowieの伝記映画制作も本人に却下されていたようだけど、ロンドン・オリンピックではBowieを使いまくってた。
London 2012 Olympic Opening Ceremony.
開会式の"Starman"
London 2012 Olympic Games Opening Ceremony - a bit of British Music, a legacy to the World.
閉会式のBowieコーナー
London 2012 Olympics - Bowie tribute (Closing Ceremony)
これが2012年。『The Next Day』が翌年出るなんて、まだ誰も知らなかった時のトリビュート。この時点でよく「出演」をボウイに打診したなあ、ボイル…
さて、ボイルの2013年の監督作『トランス』でもボウイにまつわる何かが登場していた、ということをこちらのインタビューで知る。
てなわけでさっそく見てみました。『トランス』。
Trance Featurette - Danny Boyle (2013) - James McAvoy Movie HD
なるほど。
本編5:20くらいに「Be My Wife」のイントロメロディーが聞こえます。他にもあるのかな。
とりあえずボイルとボウイを少しだけ掘ってみたけれど、そんなことよりも『2Trainspoting』を見てかき回された心が重い…
20年という経年はToo LongでもありToo Shortでもある。シビアだ。
あまりに相変わらずな奴らと私…。
そろそろ…Chooooooose LIFE !!!!
is
"David Bowie is"展が終わりました。
けっきょく行けたのは初日1/8と2月頭の2回(カフェは3回)のみ。
今日はお見送りしたい人が多かったのか、大混雑で、けっきょく会場側が、21時閉館の予定が2時間以上延長してくれたようです。
ボウイ展が日本開催になるまで色々あったのは少し聞いて知っているので、ほんと今はただもう「来てくれてありがとう」です。
1/8の朝に日本開催のニュースを知って飛び上がって喜び、『★』が大傑作で泣くほど幸せで…という後で、1/11(日本時間)にニュースを知り…だけど、一周忌である2017年1月10日がそこまで悲しくなかったのは、ボウイ展が開催されていたからです。
ボウイ展まで去ってしまう今の方が寂しい。
勝手に後夜祭と称して自室のプロジェクターで色々見ながら泣いてました。
だってさ〜〜〜なんだよも〜〜おいおい〜〜〜(ぜんぶそんな感じ)
私の友人たちも、とくに熱心なファンってワケじゃない人たちがたくさん足を運んでくれてとても嬉しかったし、Twitterとかで「ボウイ展」あるいは「davidbowieis」で検索すると、「行ってよかった」という声ばかりが溢れていて、それを読むだけで涙。
私にとってこの展示が何だったのか、Bowieの何を知れたのか、正直まだよく分かってないけれど、むしろこの「Bowie」に集まる人たち、という存在を見られたのが大きいのかも。
Bowie自体はほんとへんてこな人だと思うけど、だけど問答無用のビジュアルを誇っているのと、それをそれらしく見せる品と手法があって、その最強さの頼もしさたるや!!!!
説得力がすごい。
多分どんな人でも「DAVID BOWIE」に触れると何かしら驚くし、何かしら惹かれるはずで、それをうまくばーーーーん!と見せてくれた「DAVID BOWIE IS」展は、私の貧相な想像を遙かに超える大きな影響力を持っていたようです。
Bowie展も終わり、もうすぐPrinceの一周忌もやってきて、どうも私たちは「終わり」を味わうことの終わりにいるみたい。
David Bowie - 09 - Five Years - February 2, 1976 - Live tour rehearsal in Vancouver, BC
TO HEAR THE GUITAR
久々に書きます。
年度末、超忙しくて。
まあこの忙しさの半分は新喜劇アキにハマッてることが原因でした。
が、先週、また東京へ行って以降、かなりBOWIE熱高いです。
今回はBOWIE IS展には行かなかったのに。
ただし原宿DEPTで開催中だったMick Rock写真展には行って来ました。
DEPTもずっと行ってみたかったお店なのでワクワクしつつ。
そしたら予想外にとても良かったです。
会場でかかる曲は、たまたまだったのか、「Where Are We Now?」とか「Memory of Free Festival」とか、ゆったり静かめのが多くて、それをしみじみ聴きながらゆっくり1枚づつ対峙していくと、それらの雄弁さに気付く。
しかも売っているので、なんなら買えるわけです。
Bowieの写真を家に飾る、という可能性。
もちろん値段的にもスペース的にも無理だけど、もし、自分の家にBowieを住まわせる場所があるとしたら、どれにする?サイズは?という仮問いをたて、自分のBowieを選ぼうとしたら、1つ「コレだな、わたしのBowieは」というのが見つかって、嬉しかったです。
私はBowieはもちろん容姿は好きだけど、どれもキレイだし、そこまでこだわりはなかったのだけど、こういう風に見て行くと出会えるもんですね〜。
それにしてもMick Rockの撮っていたジギー時代のけばけばしい色は、原宿の街にぴったりで、会場を出て竹下通りを上がっていくと、まさにジギーの衣装のような服が溢れていてワクワクしました。
それからちょうど東京に居る間にBBC制作のドキュメンタリー「Last Five Years」の日本初放送に先駆けた試写会があるということで、応募したら当選。
見てきました。
まあ、泣きました。しょうがない。
日本語字幕なしならこちらでも見られるようです↓
90分、じっくり面白くて、とくに『The Next Day』の制作の話などは、知らないことが多くて面白かったです。
「Where Are We Now?」のBowieによるピアノのデモとか貴重な音源も聞けたし、彼が来ているTシャツの文字「Song of Norway」というのが、Bowieを捨てた(?)恋人、ハーマイオニー(ヘルミオーネ)の出演した映画のタイトルだとかも知らなかったし。
Song of Norway - Hill of Dreams
それにしてもMomusのBowieオタクぶりは世界一ですね。ちゃんとこんなの作ってたとは。
それからこのHypeのライブ映像がすごく綺麗な状態ではさまれていて、びっくり。
あんたらの衣装、すっごい変やで!!(って教えてあげたい…)
それと、「Valentine's Day」のポーズの意図。
ソロも弾かないのになぜか赤いギターを持ってるBowieをいぶかしく思っていたけれど、全米ライフル協会の会長、チャールズ・ヘストンのポーズを受けてのことだったと知って納得。
思い出すのはPrinceの「Baltimore」の歌詞。
"It's time to hear the guitar play"
"Let's take all the guns away"
ペンは剣より強し、という時代が過ぎ、今はギターは銃より強し。
はい。面白かったのでぜひ広く見られる媒体で日本でも放送されると良いなあ…
そんなわけで、だいぶ止まってましたが、またBowieのことはたくさん考えてるので、また書きます!!!
(花月通いしながら!!!)
DAVID BOWIE WAS.
ちょっと間が空きました。
が、先週はBOWIE WEEKでした。
まず1/31のDonny McCaslinらのトークショーへ。
なんか申し訳ないくらいBowieについての質問が多かったのですが、全然気持ち良く答えてくれるDonny、ナイスガイ。
『★』の後に作った今回のアルバム『Beyond Now』のタイトル曲、「Beyond Now」が、『★』には入らなかった「When I met You」にインスパイアされた曲だという話なども聞けました。
翌2/1、二度目のDAVID BOWIE IS…展へ。
別にBowieファンでもない妹を連れて行き、「多分先に出るから」と言われていたのですが、けっきょく同じくらい(3時間くらい)は中にいて、なかなか面白かったのか、ジギーの映画も観に行く、と言ってたり、Tシャツを買ったりしていたのが嬉しい誤算(?)でした。今回は私も「Bowie」ってホントに居たんだな、って感じられました。なぜか、というのは後ほど。
そして会場から歩いて、品川のCanonギャラリーでは鋤田さんのBOWIE & IGGYの写真展。見たことナイ(あるいは見たけど忘れてる)写真が幾つかあって、面白い。
で、夜はブルーノートのDonny McCaslinらのライブへ。
オフィシャルレポ。
DONNY McCASLIN GROUP with MARK GUILIANA, TIM LEFEBVRE, JASON LINDNER|LIVE REPORTS|BLUE NOTE TOKYO
たまたま真後ろにはヤッコさん、サエキさん、というグループが、そして真横にはMike Garsonがいる、という席だったのもテンション上がりましたが、もちろん何よりも彼等の演奏に心躍る。Mark Guilianaのライブを観るのは2度目だったけれど相変わらず、凄い。
前日のトークショーの静かな感じと打って変わって、本人が純粋にとても楽しそう。
Bowieの曲は「Lazarus」と「Warszawa」を。「Lazarus」のDonnyのT.Saxがあまりに感極まる感じの演奏で、「ああ、Bowieがいる、これが彼のやろうとしていた音楽のライブだ」と感じられて涙…。
2/2は「Look Back in Anger」と「Art Decade」もやったみたいですね。
2/2は午後にまたBOWIE IS展のカフェでボウイ仲間の方々にお会いして、★のタトゥーシールを分けて頂いて顔に貼ったり、写真撮りまくったり、楽しくしてからトリビュートライブの会場へ。
Mike Garsonのピアノから始まり、全編彼のMCでサクサク進行。
休みなしに3時間、いろんな人が出てきたけれど、これダラダラやってたら、あと1,2時間かかる内容でした。
バンドでの1曲目は「Rebel Rebel」。これはBowieの最後のツアーになったリアリティー・ツアーの1曲目で、DVDで何度も見たせいで、自分が彼のライブに行く時もなんとなくこれで始まるような想定をしていたため、ライブを観たことがない私でもすぐに「Bowieが居ない」というのがガツンと来て、涙ぐむ感じに。その後も「Life On Mars?」ではまわりでも涙の気配が濃厚…
なんですが、私は、昨日の展覧会で「Bowieは居た」、そしてDonnyのライブで「これがBowieがやろうとしてたこと」だと感じ、1曲目で「もうBowieは居ない」ということを理解したので、居ない世界を楽しむ心構えが出来ており、その後のライブのお祭り感を堪能。そもそも普通のライブと違って、「本人」がいないので、自分が歌っても別に問題ないわけです。個性で押す歌い手は出てこないし、みんな「面白いカバー」をやろうなんてしてなくて、忠実にBowieの曲を楽しませようとしてくれ…
もちろんGail Ann Dorseyが病欠だったのはとても残念だったけれど、Adrian Belewのギターと歌が、「そうか!」という本物感だったり、とても楽しい。参加したメンバーが活躍した曲が多いため、「Let's Dance」以降の曲が「Where are we now?」のみ、というバランスだったけれど、おかげで『Lodger』の曲が多い、など、なかなか不思議な構成でもあったのかもしれない。
Celebrating David Bowie highlights : Brixton Academy 8 January 2017
と、大変充実の3日間でした。
さて、私が今回はなぜBOWIE IS展で彼の実在を感じられたか、というと…
実は正月以来、吉本新喜劇のアキ(水玉れっぷう隊)にハマッているからです。
毎日Youtubeで見続けていて、生で見たい!!と切望していたのですが、いやあ、住んでる場所柄、会おうと思ってそれが実現できるまでが早かった……。
東京へ行く二日目に祇園花月で軽々と達成。
握手して、一緒に写真も撮ってもらった感想は、「アキ、小さい」でした。
173センチという身長はむしろ芸人の中では大きい方かもしれず、画面で見ていてだいたい「サイズ感」というのは分かっていたつもりだったのですが、いざ目の前にした本人の華奢な体格と優しいムードのせいで、「思っていたより小さい」と思ったのでした。
前回のボウイ展でも予想してたサイズと違った、という話を書きましたが、この直前の「アキの大きさを想像→本人を目の前に」という体験のせいで、展示してあるBowieの衣装が「ああ、こういうサイズの人なのか」というのがやっとピンと来て、ほんとにこの人は居たんだな…と実感できたのでした。
なんだか一区切りついた気がしています。
What Can I Be Now?
一週間経ったけど、ほんとに私はBOWIE IS展に行ったのだろうか…と怪しくなるほど、遠いことのよう。
他の方々の細かいレポを聞くと益々。
とりあえず次に行くまでに予習も、だけど、Bowieへの向き合い方など、心の整理が必要だ…、と、買ってあった野中モモさんの本をイッキ読みしました。
1年くらい前に西寺郷太氏の『プリンス』(新潮新書)を読んでまんまとPrinceにハマッてから、ああ、こういう「入門書」がBowieにもあったらなあ!ないなら私が書かねば!笑 なんて思っていたので、まさに新書で出たボウイ本が、このモモさんの良書だったことはとても喜ばしい。
Bowieの人生を辿る構成なので、誕生から死まで、時系列にBowieの活動、時代、受け止められ方が書かれている。その一つ一つの事実は、唐突に語られるのではなく、モモさんが選んだ細かなエピソードなどで繋がれているので、よく「Change」の人、と呼ばれるBowieだけれど、この後だからこう変わったのだな、というのがよく理解できる。
WOWOWのドキュメンタリーでもBowieの「生まれ変わる」ということが何度も語られていたけれど、変化することは容易いことではなく、悩み、もがき、新しい者になっていったのだ、というようなイメージを出している感じがしたけれど、この本ではそういう「悩み」は「契約」や「お金」などとしてのみ登場し、彼の実存的な悩みやテーマには踏み込んでいない。その代わり、モモさんらしい視点が控えめな分量ながらしっかりと書き込まれており、そこだけまた発展させることができそうな感じ。たとえば70年代、イギリスでは新しい音楽雑誌が幾つも出され、「スター」の存在を伝えるメディアだったけれど、その役割を日本では「少女マンガ」が担っていた、という指摘や、「チャラい感じ」がイギリスとアメリカでは違う受け取られ方をしていたことなど。
それから90年代以降のファンとのネットを使っての交流についても詳しく書かれていたり、ボウイを追いかける人々のことに終始目を配っているのが良かった。ジギーのライブに集まった人たちというのが、さまざまな服装の老若男女だった、というのはとてもぐっときた。
なぜなら先日のBOWIE IS展に集まった人々もまさに、思い思いの格好をした色んな人々だったので。
「デヴィッド・ボウイの音楽とヴィジュアルとふるまいは、おまえは何者なのかとひとりひとりに問いかけ、何が好きなのかどうしたいのかをそれぞれが自分で選べと背中を押したのだった。それは結局なにか大きなものに「選ばされている」のではないか、はたして自由意志というものは存在するのか、という疑念は決して消えずにそこにある。しかし、その緊張感を抱えたまま、彼はいまこの瞬間の生を祝福するひとときのエンタテインメントに人々を巻き込んでみせたのだ。」
(野中モモ『デヴィッド・ボウイ—変幻するカルト・スター』(ちくま新書、2017年)96頁)
Bowieは「自分らしい格好」ではなく、「自分の好きな格好、自分がかっこいいと思う格好」をしたい気持ちにさせる。なので私もBOWIE IS展には、「BOWIE展を見るのに似合うカッコイイ」格好をを想像して着て行きました。
また次もどんな格好をしていくか考えるのはとても楽しい。
そういえば先日の「ボウイ三昧」の時、後半のメンバーの一人だったモデルの菅野結以さん。全然知らない人だったけど、ググるとナチュラルにかわいい系のモデルさんでした。だけど本人は「見た目で誤解されるけど、ほんとはこっち側の人間なんで」みたいに書いてて、そのこっち側ってのは、小学生からVelvetやマイブラにはまっていたという音楽的趣味のことを言ってるようだったけど、まあそれはそういう人はいるよ、と思うので良しとして、途中で「私は元ギャルだったんですけど」って言ってたのがひっかかって、「菅野結以 ギャル」で検索してみた時に出てくる写真を見た時の方がびっくりでした。
私もしょせん偏見があるんだ…と反省。
普通にかわいいモデルさんがBowieやVelvetを聴いてても違和感なかったけど、ギャルか…ギャルがVelvetか…想像できね〜〜〜と。
話が少々逸れたけど、とにかく最後の章、つまり私がBowieに追いついた『The Next Day』以降はもうずっと泣きながら読んでしまった。2013年1月8日に世界中が驚いたその喜びを想像すると(私はリアルタイムでは知らない)、「Sue」を初めて聞いて「わ、また新しいことするんだ!」という喜びを思い出すと、そして2016年1月8日にBOWIE IS展開催を知らされ、かつ『★』が傑作だった幸せを思い出すと、涙が。
悲しいことより嬉しい記憶が染みる。
たった2年の私のリアルタイムでこんななのだから、40年以上リアルタイムで追いかけてた人とか、最初から最後まで涙じゃないか??
ともかく、モモさんによるV&Aのキュレーター氏へのインタビューもとても良かった。
これまで『Post Punk』の本をはじめ、翻訳家としての文章しか読んでなかったけど、モモさん、どんどん書いて欲しいな。
ところで初日、買いそびれた限定アナログ、再入荷した翌日以降に会場を訪れるという方にお願いして、買って送っていただきました。感謝感謝感謝。
12インチの方はカラーVinyl。めちゃ赤い!
アルバム★と中身入れ替えて遊んでみたり。
時計の針を置いてみたり(これほんとに動くので、時計として使用できるけれど、なにせ10進法なので、混乱の極みでしょう)。
普通に聞いてみたり。
実はピクチャー盤って初めて買ったので、かわいくてびっくりです。
質感も面白い。
昨日チャットで話題になったUFO衣装。
David Bowie 1979 TV appearance on Dick Clark’s Salute to the Seventies...