bowie note

David Bowieをキーワードにあれこれたどってみるノート。

AMERICA

数日間で色んなことがあって、世紀が変わったな…という感じがひしひし。

まさかトランプはならんやろう、と思っていたけれど、開票始まって昼ぐらいに「これはもしや…??」って思い出してからは、二つの世界を想定して、ヒラリー大統領になって、今「自分の暮らし」に不満を抱いている人たちが更にそれを募らせ、行動していく未来が来るよりは、トランプ大統領になって「これはアカン!」と動く人々がいる未来の方が健やかな希望があるのではないか…という気になってきていたので、結果が出た時には「がんばるしかないよね」って感じに。

しっかしマジ胃が痛かった…

 

世界史の未来予想はこれでガラリと変わるのか。

アメリカとは…

と考えていたら、Bowieの「This is not America」が何度も頭の中を流れていたけれど、アメリカといえば…と、思い出して、彼が911の集会のために歌ったサイモン&ガーファンクルの「アメリカ」の歌詞をちゃんと読んでみた。

 

AMERICA  : Simon and Garfunkel

words & music by Paul Simone

 

Let us be lovers,

We'll Marry our fortunes together,

I've got some real estate

Here in my bag

 

So we bought a pack of cigarettes,

And Mrs, Wagner's pies,

And walked off

To look for America,

"Kathy", I said,

As we boarded a Greyhound in Pittsburgh,

Michigan seems like a dream to me now.

 

It took me four days

To hitch-hike from Saginaw.

"I've come to look for America".

 

Laughing on the bus,

Playing games with the faces,

She said the man in the gabardine suit

Was a spy.

I said, "Be careful,

His bow tie is really a camera".

"Toss me a cigarette,

I think there's one in my raincoat".

We smoked the last one 

An hour ago.

 

So I looked at the scnenery,

She read her magazine;

"Kathy, I'm lost", Isaid,

Though I knew she was sleeping.

"I'm empty and aching and

I don't know why".

 

Counting the cars

On the New Jersey Turnpike

They've all come

To look for America,

 All come to look for America,

 All come to look for America.

 

 

以下、拙訳です。

 

「アメリカ」

ポール・サイモン 詩・曲

 

恋人とぼく、

幸せな結婚をするんだ

バッグの中には

少し蓄えもある

 

タバコを1箱と、

「ミセス・ワグナー」のパイを買って、

アメリカ探しに

歩き出した

 

「キャシー、あのね」

ピッツバーグでグライハウンドバスに乗った時、ぼくは話した

ミシガンにいたのがもう夢のよう

 

サギノーからヒッチハイクで4日かかったんだ

「ぼくはアメリカを探しに来たんだ」

 

バスの中で笑い合い、

色んな奴らとゲームをした

彼女はギャバジンスーツの男は

スパイだって言ってた

 

ぼくは言った「気をつけろ、

彼のネクタイはカメラがついてるから」

「タバコをおくれ、

ぼくのレインコートのポケットに1本あったと思う」

だけどもうぼくたちは最後の1本を1時間前に吸い終わってた

 

それでぼくは景色をぼんやり見つめ、

彼女は雑誌を眺めた

広々とした草原に月が昇った

 

「キャシー、ぼくは迷子だ」って

眠ってる彼女に向かって言ってみた

「ぼくは空っぽ、心が痛む

なんでかは分からないけど」

ニュージャージーの高速道路で車を数える

 

彼らはみんなアメリカを探しに来たんだ

みんなアメリカを探しに来たんだ

みんなアメリカを探しに来たんだ

 


David Bowie 2002 `America´

 

 

良い曲。

歌詞は眠っているキャシーに話かける辺りから、その単純にアメリカンドリームを信じているわけではない主人公の心情がはっきり述べられるけれど、繰り返される「Look For America」という言葉は、Americaが「探す」必要のあるものであることが強調されている気がする。当たり前のようにあるものではない。「アメリカ探し」はヨーロッパ人が「新大陸」を探していたあの頃も、そして今も、相変わらず続いてる。

 

 

もう11月も半ばになり、1年で一番美しい季節になってきたけれど、去年の麗しき11月の私に「1年後にはBowieもPrinceも死んでて、大橋巨泉千代の富士も死んでて、だけど厚顔にも安倍政権はまだ続いてて、トランプがアメリカ大統領だよ。それだけじゃない。Alan VegaもLeonard Cohenも死んだ」って言ったら、正気じゃ居られないと思う。

 


Leonard Cohen - You Want It Darker (Lyric)

 

 

コーエンの新作の歌詞に出てくる「You」は、「神」ととると一番分かりやすいけれど、神は、祈れば何でも叶えてくれる、というわけではなさそうだ。

 

 

 

CAN I SEE LIFE ON MARS ?

「ねー、お母さん、どこ行ったの〜?」

「お母さんはね、夜空のお星様になったんだよ(涙を堪えて)」

 

ってヤツ、予想外に信じていた私は、「天文台一般公開」のポスターに食いついてしまいました。

宇宙の闇に目を凝らせば、BOWIE★、PRINCE千代の富士が見つかるかもしれない、と。(脳内をかけめぐるバンプオブチキン天体観測」)

 

シャトルバスで京大花山天文台に送ってもらい、まず小さい(といってもでかい)望遠鏡で月を見せてもらう。

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クレーターがはっきりくっきりで、その縁をどんな風に歩こうかなど、考えたりできる。これまで肉眼でクレーターを見たことがなかったので、かなり感動。

月に囚われた男は見えなかったけど。


映画『月に囚われた男』予告編

 

それから更に小さな望遠鏡でまた月を見せてもらったら、これもよくよく見えた。

望遠鏡の大きさ、謎。

 

しかし最後は国内3番目に大きいという45cmの直径を持つ望遠鏡の登場。

なんと108(確か)歳でバリバリ現役。

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迫力!!!

これで何を見るかは当日まで知らされてなかったのですが、行ってみると「今日は火星を見ます」と。

 

火星!火星!!やったぁ!!!!

(と、ここで宇宙空間に★を探すという当初の動機を失念)

 

ドキドキしながらみた火星は、肉眼の800倍とはいえ、表面に火星人がいるかどうかまでは分からない、ぼんやりした感じで、それは大気があるからしょうがないらしく、高望みを反省しつつ、その色がホントにジギーの髪の色だ!ってことに感激。

 

こんな感じでした。

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オレンジだね。

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ジギーとスパイダーズの出身星はなんで火星だったんだろう。

一番地球に近い惑星で、一番「誰か」居そうだという認識が共有されてたからかな。

LIFE ON MARS ?


David Bowie - Life On Mars (2016 Mix)

 

花山天文台は丸い建築がとても魅力的でした。

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天文台って良いなあ、と検索していたら、こんな天文台マニアのブログを発見。

これはそそる…。

そしてアインシュタイン塔というドイツ表現主義建築を代表する建物にKO。

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バイ。これは。

天文台はこうやって「曲線」で作るべき、と勝手ながら決めました。

 

 

さて、天文台から降りてきて向かったのは、実は前日にも訪れたロームシアター。

ここでやっている池田亮司のmatrixという作品の謎を解明したく、友人を連れて再訪。

前日は目を開けてるのと閉じてるのの差が無い暗闇の中で、私に見えたものは、私の網膜に残っている何かなのか、それとも他の人も見えるのか、というのが知りたくて。

2度目に見ても、やはり紫ぽいほんとに微かな、小さな灯りの中に影絵のようなものが見えたので、気のせいではないはず!と確信。

しかし友人は「気付かなかった」と……

ううむ…

遠くにある月も火星も、太陽の光のおかげで「見え」るのだし、音も音楽も、空気のおかげで聞こえてる。視覚も聴覚も、とても間接的なものだということが改めて不思議に思えた日でした。

 

ロームシアターの外では池田亮司の別作品が超巨大スクリーンに映される、岡崎全体が不穏な(?)音に包まれていた。

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ARTIFICIAL CAGE

桂離宮はあまり先入観や予習もなく、ミーハー心で行ってみたのですが、そうして良かった。

と、井上章一の『つくられた桂離宮神話』(1986)を読み終わってつくづく思ってるところです。

 

つくられた桂離宮神話 (講談社学術文庫)

つくられた桂離宮神話 (講談社学術文庫)

 

 

「いきなり自分の恥をさらすようだが、私には桂離宮の良さがよくわからない。」と、まえがき冒頭で告白され、あとがき冒頭で「これは、桂離宮を冒涜するための書物ではない。」と述べられるように、近代以降も人々がたくさん生み出してはそれに縛られてきた「神話」から自由になるための試み。

私はあまのじゃく体質ゆえ、きっと桂離宮賛辞をたくさん読んでから行ったとしても、井上氏のような正直な感想を述べた可能性もあっただろうけれど、それでもやはり「美」を見出す努力をもっとしたかもしれなかった。

 

ただ、私が拝観した桂離宮というのは主に「庭」なのであって、建築の方は外から眺めるしかできなかったため、内部のことはよく分からなかったのだけれど、その外観からはとにかく「モダンだな」という印象を受けた。そしてそれこそが本書の最初の論点だった。

私はとくに建築に詳しいわけではないので、もうただ単純に桂離宮御殿の高床から、ル・コルビジェの「ピロティ」やミース・ファン・デア・ローエの「水平連続窓」を「連想」したに過ぎないのだけれど。

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ル・コルビジェサヴォア邸」

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ミース・ファン・デア・ローエ「ファンズワース邸」

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桂離宮の「発見者」とされているブルーノ・タウトをここへ連れて行ったのは上野伊三郎であって、「モダニズム」を推し進めたい人々がある意味タウトを利用した面があった。ただそれをきっかけに桂離宮の世界的な「評価」は今も「モダン」の文脈と繋げて捉えられているのだろう。観覧者はほとんど外国人ばかりだった。

 

もう一つ、桂離宮の印象を表すキーワードは「人工」だった。客を迎え、視覚も聴覚もコントロールしながら「楽しませる」その庭は、現代でいうところの「テーマパーク」のようなものにも思えたけれど、テーマパークと決定的に違うのは、桂離宮には「楽屋」がないことなのかもしれない。主が茶をたてたり料理を用意する場所は、庭と同時に客からよく見えるよう、縁側の方におかれていた。それほど計算しつくされた「人が作った自然」だった。

 

そういえば九条山のキッド邸跡を訪れたとき、そこにはもう「塀」しかなかったけれど、それだけでもなんというか、「パチモン」感というか、「イメージされた日本」感があった。もちろん、結局外国人が「日本」をやってもしょせん…ということが言いたいのではなく、それは国籍とかは関係なく(私が「日本建築」を作ろうとしたって絶対出来ない)、庭園や建築の本質は「人工」の「つくられた」ものだということであって、Bowieは「本物の日本」ではなく、「偽物」として作品に取り入れてたのではないだろうか。

オリジナルキャストが歌う『ラザルス』に入っている「No Game」では例の日本語ナレーションは英語話者によるカタコトになっていたけれど、そもそも元の「No Game」も、ナレーション自体は日本語話者がやっているけれど、その意味の分からない日本語詩や、おおげさな節回しなど、明らかに「わざとらしい」感じがある。と私は思う。

「Moss Garden」がもし「自然さ」を出したかったのなら、シンセではなく生ストリングスを使うなり、琴演奏だってリアル奏者を呼んでやるだろう。

純のCMで彼はピアノに向かってるけれど、CM曲「Crystal Japan」にピアノの音は入ってない。

 

 

というわけで『ラザルス』と『Who Can I Be Now?』がリリースされ、賑わっているBowie界隈。まだ全然全部は聞けてないけど、私は『Station to Station』のボックスを持っていなかったので(3枚組の廉価版だけ持ってる)、Harry Maslinn Mixを初めて聞いたのですが、これは面白い!!!と興奮しています。

 

ラザルスの方に入っていたBowieの未発表音源3曲は、なるほど、と楽しみつつも、あくまでアウトテイクというか、『★』は「完璧」だったのだ、という確認をしつつ、こうした曲はまだまだきっと彼から生み出されただろうし、そしたらまた次のアルバムも出ただろうし…と妄想してしまったり、でした。

 


Michael C. Hall, Original New York Cast of Lazarus - Lazarus (Live at The Arts Club)

 

MOSS GARDEN

遠くからBOWIE仲間が京都を訪れました。

BOWIEの足跡は世界各地にあるけれど、京都(とベルリン)のBOWIEを特別なものと感じるファンは多いのかも。きっとBOWIEにとって、特別な町だっただろうから。

 

というわけで私も便乗して、近いのに一度も行ったことのなかった「ゆかりの地」を巡ってきました。

 

まず「桂離宮」。

Let's GO !

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Blue, blue electric blue

That's the colour of my room 

Where I will live

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桂離宮は「立体だ!」と、当たり前のことを言いたくなるほど、構図を考え抜かれて作られた「絵」のよう。

それにしてもコケを踏まないよう、監視の目が光っているのに対し、青い襖の色が日焼けであせている、というほどラフなところもある。写真も撮り放題だし。

Bowieも写真撮ったかな。

 

 

そして「苔寺西芳寺)」。

桂離宮は「庭」だったけど、こちらは「森」のよう。

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もちろんこれを聴きながら歩いてみる。


David Bowie - Moss Garden (HQ)

 

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静かだけど阪急の音が聞こえた桂離宮より、さらに静か。包まれる。

Bowieの琴、なかなかそれらしくて上手かったんだなあ。

 

続いて「正伝寺」。

前回は自転車で雪の季節に行きました。

今回はバスで行ったのでこんなユルイ看板を発見。

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横の線で出来ているので、「落ち」つく。

静かな空気の中、鳥たちだけが元気に話をしている。

フランス語でガイドをしていた方が、「京都のお寺は全部行ったけどココが一番好き」と言っていた。

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この日の空は異様に広かった。

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普通?は石で作るらしい「七五三」を表すツツジ

これまでこのCMが「正伝寺」で撮られたというの、よく分かってなかったけど、初めて大きな画面でCMを見て、今回やっとこのツツジや縁側?を確認できました。

このyoutube画像では残念ながら暗くてよくみえない…。


David Bowie Crystal Japan

 


DavidBowie 1980 Japan CM

 

あらためてこの辺りのBowieの「シンセサイザー」の音の面白さを確認。

こんな音は、この時しか作れなかったのものだろうけれど、それが良かった。


David Bowie - Crystal Japan

 

CUCURRUCUCU...

クラシック育ちのため(?)、演歌とブラックミュージックは「全部同じに聞こえる」という耳の持ち主だった小学生時代を経て、まずはTMやパーフリで「汗かかなそう」な音楽にも耳を拡げ、いろいろひねくれたところを経て、ようやくBowieで「ロック」に開眼したのですが、これはいつかドハマリすんじゃねーか、という予想が一番高いのが「南米音楽」でした。ちょこちょこ触れているだけでも「こ、これは他と違う、そもそものポテンシャルというかが、まず階段5段くらい上から始まっている…」ということに気付いており、老後はラティーノ趣味で過ごす、など想像していたのですが、案外早くそれは来てしまったようです。

老後が?

いえいえ、南米。

 

Caetano Velosoとの出会いは映画『ブエノスアイレス』なので、1997年(って19年前かよっ!!青)。それから何枚かはアルバムを集めて気に入って聞いていたものの、たくさん有りすぎるので深入りはせず…が、この夏のリオオリンピックをきっかけに、アルバムを集め出したら、面白くて、トロピカリズモの本なども読んだり、秘かに南米ブーム来てました。

そしたら来日するというじゃあないですか、カエターノ、11年ぶりに。

一切迷いなく、とりました。先行で。

74歳、いつ何があっても…と、今年の私はホントにアレですから。

ポールもリンゴもディランもストーンズも「ま、いっか」なんだけど、カエターノでしょ??行くしかないでしょう。

 

というわけで、昨日、NHK大阪ホールへ。

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東京はフェスのみの出演だったので、今回の唯一の単独公演である大阪へ全国から集まったコアなファンたち。

ほぼオンタイムで開始。

まずはテレーザ・クリスチーナが出てくるかと思っていたら、本人がふらっと現れ、会場は立ち上がって「割れんばかりの拍手」で喜び迎える。

その後も1曲1曲終わる度に物凄い拍手。次の曲始められないので、しょうがなくイントロをカエターノが弾き始めるとピタッ!と静まりかえり、舞台に集中する観客、「Todo O Mundo, cantar!」と、私でも分かるポルトガル語が投げかけられると、私には分からないポルトガル語の歌詞で合唱できるオーディエンス。

何者じゃ!?!?

 

それにしてももうカエターノの歌の、音楽の豊穣さには感涙で、幸せで、どうしたものか…でした。それで曲が終わると歓声。みんなも同じ気持ちなんだな…というのでまた泣ける。思い出してもまだ泣ける。

74歳だから…なんて誰が心配?してたんだ。

生命力の塊でした。

 AMAZING AUDIENCE。笑

 

11年ぶりの来日でこの愛されぶり、もし今年来日していたら14年ぶりだったPrinceは、どんな歓迎を受けたのだろう。彼もきっと74歳になってもあのままの歌声を聞かせてくれただろうな…Princeの追悼でCaetanoと比較していたものがあったけど、わからなくはない。Princeは自分のパーティーでCaetanoの「No Dia Que Eu Vim Embora」をかけていたらしい。


No dia em que eu vim-me embora Luiz Gonzaga

Mikiki | 追悼:プリンス―自身がホストを務めた、人生という名の華やかで濃密なパーティの日々を振り返る | COLUMN | R&B / HIP HOP

 

 

それにしても本当に幸せな時間で、美しい時間で、いまだなかなか現実に帰ってこられないし、ポルトガル語って凄いなあ〜〜〜

前回の来日の時のインタビューでも語られたけれど、声と歌と、言葉と…その有機的結合たるや…!!!

tower.jp

歌詞の意味全然分からなくても、伝わってくることが面白い…(分かりたいけど)。

作曲家としての面白さがそれぞれ違うところにあるというか、Bowieだと「コード」で、Princeだと「グルーヴ」で、Caetanoは「メロディー」が特別に強靱で自由な気がする。

 

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ホールは4階なので、エスカレーターに乗っていると温室みたいな窓の外にジョーが見える。オオサカジョー

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それにしてもカエターノは最後の「スター」なんじゃないかな。BowieとPrinceがいない地球で。見たことナイのに言うと、ミック・ジャガーやポールは「バンド」って感じだし、ディランは「スター」って感じではないのでは、と。なんというか「1人」でステージの上でギラギラ、キラキラしている人。もちろんもっと下の世代にはそれに相応しい「スター」はいるだろうけど、Bowieらほどの色んな世代に認識されているようなスターは、もうカエターノくらいでは…?と。

今回カエターノが見られることが嬉しくて会う人会う人に言ってみたら、知名度があまりに低くて驚いたのだけど。

今も色っぽいけど、若き頃の色っぽさはマジヤバですよねえ。

 

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そして今の若々しさのための努力を、インスタなどで開けっぴろげにできるところも素敵。

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肉とコーラって!!

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そんなカエターノ、Bowie逝去の後、FBに長々と文章を寄せてました。

https://www.facebook.com/FalaCaetano/posts/777168849054216:0

 

ポルトガル語読めねぇ〜〜〜〜!!と叫びながら「ブラジル・ポルトガル語入門」など本を買おうとしている私の回りくどさ…

ブラジル人の恋人作れば済むのに。

と、細切れにgoogle翻訳にかけたら、大意は分かりました。

どうも1970年、亡命中だったロンドンで、ボウイとコラボすべき、というマネージャー?のすすめにより、ライブを観たのだそう。それで、「ビートルズストーンズは好きだけど、ボウイは…」と思ったのだそう。

まあ、1970年のライブだったら、長髪にギターを持ったフォーク歌手ボウイに対しての反応としては当然かも。同じスタイルで超人的に上手く歌えて演奏できるカエターノなのだらから。

しかし「Lazarus」のビデオに大きな感銘を受けたことも書かれている。

 

★追記★

70年ならまだフォークスタイルかとうろ覚えで書いたけど、2月からもうHypeとやってるので、バンドになってた!!『Space Oddity』から『The Man Who SOld The World』への変革期。いつのライブ観たんだろう。

 

 


Caetano Veloso - "O Leãozinho" (1977)

 

When I Met You

ポイントやクーポンを最大限利用しまくりながら、『Who Can I Be Now?』ボックスを予約しつつ、ついに私も「箱ばっかり買ってる」人間になったか〜〜…と、箱地獄をひしひしと感じる2016初秋。

『ボウイトレジャー』の黒いページに付く自分の指の脂に落ち込んだせいで(嘘)、『地球に落ちて来た男』サントラに関しては箱を買わず、通常版にしました。

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MAN WHO FELL TO EARTH

MAN WHO FELL TO EARTH

 

 

映画何度も見てるし、爆音上映で音も堪能したので、そう期待してなかった(もう知ってる感)のですが、すごく音も良いし、構成も面白くて、私は満足!!

 


Stomu Yamash'ta & Come To The Edge - Poker Dice ( Floating Music ) 1972

 

ただしサントラには、印象的な映画のエンディングの曲が未収録なので、自分で付け足して聞かねばなりません。

 


Stardust - Artie Shaw And His Orchestra

 

 

さてさて。はしゃいでいたら、またも「突然」のニュースが。

nme-jp.com

 

これはちょっと聞くの緊張する!!!

色々まだ謎ですが、もう一ヶ月ちょいでリリース。

どきむね。

 

All Is Pretty

以前、『戦メリ』を上映したカフェを畳むと言うので、それなら店主の一番好きな映画である、『バスキア』を見ようよ、と提案。

お店にはいつもバスキアの黄色いポスターが貼ってあったのでした。

(すぐフライヤーとか作ってしまう「ごっこ」好き。「BASQUIAT IS COMING」がそのポスター)

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先に未見だった2010年制作のドキュメンタリー『バスキアのすべて』を見る。

バスキアってこんなに魅力的な顔、表情、姿なのか!

『Downtown 81』は大好きなので何度も見てたけど、あれはむしろバンドのライブシーンの方が印象的で。

モヒカンのバスキア、なんだか若い頃の坂本龍一ぽい。

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 『バスキアのすべて』は、まだバスキアのことをよく知らない身としては勉強になったけれど、そう深く「論じて」いるわけではなく、バスキアの絵ってほんとユニクロのせいで日本では老若男女、文脈も何も分からず身につけてるけど、全然まだまだこれからなんだな、と。ウォーホルはもっと色んな語られ方しているけれど、バスキアは一辺倒な感じだし。それにしても1960年生まれってことはプリンスよりも若かったのか〜〜〜。

 

そして『バスキア』。

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なんともう公開から20年経ってるのですね。

公開当時は印象が薄かったけど、Bowieにハマッてから見直すと、記憶よりもだいぶ悲しい映画だった。それ以来見たわけですが、ドキュメンタリーを先に見たせいで、細かいとこまで「作り手」の気持ちになってしまった。あのエピソードをこうしたか、こう描いたか、と。

 


David Bowie's part in Basquiat Part 2

 

それにしてもヴィンセント・ギャロが出てることに初めて気付いた!!

ギャロのことはだいぶ好きなので、Bowieと並んでるというのは興奮。

 

 

映画を見ていたら、だいぶBowie as Warholも何度か出たあたりで友人の一人が「は!!」とした顔で「これデヴィッド・ボウイやん」と私に言うので、「今気付いたんかい!」と。なかなかバレなかったようでした。笑

一方この映画が大好きな店主の方は、この映画がバスキア、ウォーホル、ボウイを知るきっかけだったらしく、今でも本物のウォーホルより、ボウイのウォーホルの方がしっくりくるらしい。

私のウォーホルのイメージはもっと「かわいい」人なので、Bowieのウォーホルはやはりちょっとクールに格好良すぎるかな、という気もする。けど、これはこれで好きです。

 

このジョナス・メカスの『Scenes from the Life of Andy Warhol』が私の好きな映画Best 10に常に入っており、この中のオフショットなウォーホルがとてもチャーミングなのでした。


Scenes from the Life of Andy Warhol: Friendships and Intersections

 

 

さて。

最近、追悼系雑誌を読み較べていると、BowieとPrinceの存在の違いが分かって面白いのですが、Princeがまだ全然論じられてこなかった(少なくとも日本では)分、どんな切り口も面白いのに対し、Bowieはちょっといま手札を出し尽くしているのではないかな、というぼんやりとした印象があるけれど、その突破口になるのでは?と思うのは、Bowieの「美術」への興味です。

いま、そのコレクションがオークションにかけられるということで注目されているけれど、ちょっとこんなに美術に興味があった「ロック」の人は他にいなかったんじゃないかと、思うので。

とくに『Modern Painters』という雑誌に1994年から1998年に寄稿していた「美術記事」を見ると、そこにはスターのBowieは居なくて、現代の美術作品に本当に熱中している一美術ライターがいる。

http://www.bowiewonderworld.com/art/modernp.htm

 

バスキアについては1996年春号で書いており、とても専門用語も多くて読みにくいながら、なんとか辞書をひきつつざっと読んでみると、幾つか彼なりの着眼点がある様子。

 

This is NOT Black Art, I maintain, and this is not ART, well no, this is STUFF and I like it, yeah, yeah, yeah. This STUFF rocks.

 

と、Bowieはバスキアの作品を「STUFF」と捉えているらしい。

このSTUFFというのをどう受け取っていいのかがよく分からないのだけれど、彼の生い立ちを紹介しつつ、彼がどういった「表現主義」であったかを解く時のキーワードにしているのではないか、という印象。

精読できてないので、誤読かもしれませんが。

80年代、バスキアは黒人ということで「プリミティブ」なアーティストだと理解されていたようだけど、本当は都会っ子だし、実際、その線も色もほんと洗練の極地だと思う。つまり他の色んな画家の作品や、同時代の音楽、映画、広告を知っている人が選んだ線と色というか。バスキアをポップにTシャツや雑貨に使うのはホントにやりやすいだろうし、この映画自体、とても分かり易いし、使われている音楽が誘うセンチメンタリズムもかなりのもんだけど、この映画公開時に、Bowieがバスキアを「アート」のまな板に載せるというむずかしい仕事をしていた、というのは注目ではないかと。

 

 

『バスキア』の音楽を担当したのはJohn Cale

彼がLou Reedとともに86年に亡くなったDorella(ウォーホル)を忍んで行った88年のライブ(1990年にはアルバム発売)。

 


Songs for Drella - Lou Reed & John Cale